日本の事故と中国の事故は同列に語れない
線路を一本造って、汽車を一回走らせる。それを鉄道とはいわない。国土の全域とはいわないまでも、主要な広域を線路網が覆い、列車が恒常的に往復し、大量の人や物が遠距離を迅速に移動して、はじめてその名に値する。それを日常的に続けていくために、ダイヤグラムを構築整備し、定時たがわぬ運行を実施しなくてはならないし、機器・施設の点検保守も怠ることはできない。用地の確保、資材の調達、線路の建設、車輛の製造、運転の開始、営業の永続。あらゆる点について、周到綿密な計画とそれを円滑な実施に移す組織、そしてその組織を構成する、各々の専門に精通した人材が必要不可欠である。
だから一口に鉄道といっても、モノを作ればよい、というわけではない。それを運用営業、保守管理、更新改善してゆくには、人材・組織を生み出す母胎としての国民と、そうしたヒトを成り立たせる全国規模で均質な社会的基盤とがなければ、不可能なのである。運行ダイヤが密になればなるほど、車輛速度が上がれば上がるほど、その必要はいっそう強まるであろう。
中国の側には、日本もよく鉄道事故がある、新幹線も止まるではないか、という主張も見られる。それは確かに正しい。だが事後の処理を含め、日本の事故と比較して、このたびの中国高速鉄道の事故が同列に扱えるかどうかは、考えてみなければならない。
中国で鉄道建設が進まなかった驚きの理由
中国にはじめて鉄道が敷かれて、130年あまりであろうか。その歴史の時間幅は、日本とだいたい重なり合うが、経過内容は大いに異なっている。西洋から鉄道を導入して敷設営業するまでには、日本でも紆余曲折があったけれども、中国はその比ではない。建築敷設・開業運行にふみきるかどうか。そこからして大問題だった。つまりは鉄道導入に対する反対が喧しく、その大多数の声を押し切ってまで、建設できなかったのである。
今から見ると、その声には荒唐無稽なものが多い。線路の敷設には岩石を破壊したり、山に穴を空けたり、橋を架けたりする必要があるため、それは風水に違う、山川の神を怒らせる、墳墓を破壊する、だから許せない、といった類の議論である。そうしたなか、少数ながら傾聴に値する発言もある。ちょうど130年前の1881年、イギリス・ドイツに駐在経験のある劉錫鴻という官僚が述べた鉄道反対論に、このようなくだりがある。
中国人官僚が綴った鉄道反対論
「西洋の鉄道は国民が資本を出し合って運営するから、経営者も自ら事業に責任をもち、線路の修築・車輌の建造など、すべてが着実だ。」
「中国では施策のほとんどが虚偽に覆われてしまっている。賃金は支給額の半分しか、労働者の手にとどかないし、物品代金は三倍に割り増して請求する。……賃金がゆきわたらず工事が手抜きになってしまえば、あとから機械を更新していったとて、形しかととのわず、永続するわけはない。」
「鉄道は速く走る分、事故への備えが大切だ。西洋では事故につながる職務怠慢をすれば、責任を問われて、死ぬまで二度と仕事をさせてもらえなくなる。そのためあえて法令を犯そうとはしない。」
「中国では兵士が駐屯中の軍隊を脱走したり、人夫が建築中の要塞を逃げ出すのは、ほとんどあたりまえだとみなされている。鉄道でも同様に、何のはばかりもなく職務を怠慢してしまえば、重大な脱線事故をひきおこしかねず、それを防ぐ手だてはない。」
以上は劉錫鴻の意見のごく一部を紹介したものだが、鉄道がいかにヒト・人材・組織に依存する事業なのか、いかに深く西洋近代社会に根ざしたものか、さらにまた、当時の中国社会といかに大きな隔たりがあるか、を端的に語っている。
およそ20年の後、中国では主に外国の投資によって、鉄道が普及しはじめた。それは中国の輿論が近代国家をめざし、鉄道を魔術的な奇芸ではなく文明的な技術だとみるようになったためであり、いわば鉄道アレルギーが解消したことによる。けれどもそこで、劉錫鴻が指摘するヒトの問題、あるいは西洋近代と中国社会との隔たりが、顧慮された形跡はない。そのことはどうやら、この時の鉄道ばかりに限らないようでもある。