トランプを読み解く

2019年3月11日

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立花 聡 (たちばな・さとし)

エリス・コンサルティング代表・法学博士

1964年生まれ。早稲田大学理工学部卒。LIXIL(当時トステム)東京本社勤務を経て、英ロイター通信社に入社。1994年から6年間、ロイター中国・東アジア日系市場統括マネージャーとして、上海と香港に駐在。2000年ロイター退職後、エリス・コンサルティングを創設、代表兼首席コンサルタントを務め、現在に至る。法学博士、経営学修士(MBA)。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員。

 

「米国第一主義」は何も悪くない!

 トランプ氏は「米国第一主義」、保護主義の旗を掲げたところで叩かれた。グローバリズムに公然と異を唱えるには相当な勇気と覚悟が必要だ。よほどの異端児でない限り、なかなか難しい。

 グローバリズムの基底に横たわっているのは、世界的貧富の格差の撲滅という価値観と倫理観である。裕福な先進国とそうでない途上国や新興国、その貧富の差を無くすことを善とするイデオロギーである。世の中、そうした「絶対的正論」たる美辞麗句を唱えれば、誰もが反論できなくなる。特に日本は最初から格差を悪としている以上、文脈的に格差消滅を目標とするグローバリズムが正義となるだろう。

 しかし、トランプ氏は反グローバリズムだ。2018年9月25日の国連総会一般討論演説で、氏は「グローバリズムのイデオロギーを拒絶し、愛国主義の理念を尊重する」と明言する。持論の「米国第一主義」をさらに明確な形にしたところで、その「国際協調に背を向ける姿勢」は大方のメディアに批判された。無論、悪としてだ。

 人間は生物同様、自己保存の本能を有している。自己保存故に他者との資源争奪が不可避的に生じる。一方で、その資源争奪現象の消滅を善とした場合、その善を謳歌することを疑うことすら、悪とされるのである。そうした風潮が主流化する世間では、哲学に求められる「懐疑」という基本的姿勢は萎縮する。人間一般に対してペシミストに立脚するトランプ氏はむしろ冷徹な視線で、醜悪に満ちた世界を正視していた。無論、そのポジションに立った時点である意味、トランプ氏自身の相対悪は余すところなく露呈したのである。

「真・善・美」というが、客観的存在として認知され得るのは「真」だけである。ただ「真」は往々にして「醜」だったり、「悪」だったり、あるいは「醜悪」だったりする。トランプ氏は主観的な美醜論や善悪論よりも、むしろ客観的な「真」を忌避せず、たとえどんな醜悪な真であろうとも、これを正視する姿勢を崩そうとしなかったのである。

「悪人」よりも「悪魔」を目指せ

 人間集団の利益からすれば、国家利益が最大単位の集団利益になろう。そこで一国の大統領として国益の擁護と維持を第一義的なミッションと捉えることは至極真っ当だ。にも関わらずたびたび世間に非難されるのは、民主主義社会のマスコミによって強化されるルサンチマンに起因する。

 非難は世間から消えることはない。非難を恐れる政治家は失格だ。たとえ「醜」や「悪」であろうとも、たとえ世間からどんなに罵声を浴びようとも、絶対に引かない。政治家やリーダーにはそうした厚顔さが必要なのだから。

 2018年12月1日、ブエノスアイレスで開かれたG20首脳会議はついに、「保護主義と闘う」との文言を盛り込むことなく、首脳宣言を採択して閉幕した。悪魔の勝利だった。

 悪人とは、ちょっとした悪事に手を染める小物にすぎない。だが、悪魔は違う。悪魔がなす悪事はもはや、手を染める程度ですまない。全身全霊をかけるのだ。悪は必要悪であり、一種の独自の相対的正義であり、これらを裏付ける原理原則ができたとき、哲学、あるいは神学の次元に達する。天使の対極にある悪魔サタンは極悪ながらも、神であることには変わりない。

 中途半端な偽善者や悪人よりも、トランプ氏は悪魔を目指しているようにも見える。帝王学の極意であろうか。

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