今回は、有限会社ハニードライの代表取締役・大塚 祐二さんを取材した。
ハニードライは、主に病院やクリニック、工場、飲食店、ホテルやイベント、美容室や理容室、学校などの教育施設、公的な機関などの業務用のユニフォームや制服及び備品のクリーニングを取り扱う。注文、回収、仕分け、洗濯・乾燥、仕上げ、配送までを引き受ける。
本社を構える厚木市(神奈川県)を拠点に県内全域、都内などに集配エリアを構築している。工場は厚木市、横須賀市、相模原市に計3つ。
創業は1988年で、当初から障がい者雇用に熱心に取り組む。現在、従業員数は約180人。うち、正社員は15人で、ほかはパート社員。障がい者は10人で、身体、精神、知的障がい者がいる。知的障がいがもっとも多い。神奈川県から、「かながわ障害者雇用優良企業」に認定される。認定は県内で障がい者雇用に積極的に取り組む中小企業等で、一定の要件を満たした会社に限られる。
2007年には、社会活動の一環として「NPO法人障碍者支援センター鮎の風」(厚木市)を設立した。現在、理事長を務める。近隣の養護学校、福祉施設などの職場実習の受け入れを行う。小、中、高校の児童・生徒が「仕事や福祉」を学ぶための実習先や、障がい者雇用に関わる企業関係者が情報交換する場として開放している。
偏見や差別に、絶対に負けてなるものか
1980年代後半に、知的障がい者の50代半ばの女性をパート社員としてはじめて雇ったのです。もう、30年が経ちましたが、今に至るまでに雇う側として大きな負担を感じません。むしろ、雇い入れた頃の売上が2000万円程で、現在は約9億円になったから、感謝しています。
健常者と障がい者が一緒の職場で助け合い、仕事をする。それが、当初の大きな特徴。大企業の特例子会社のように、障がい者を健常者とは違うところで働かせることはしていません。健常者と障がい者が共存し、個々が仕事のやり方などを考え、よりよき形に変えようとする。もちろん、難しい面はあるのですが、最終的には会社として、個々の社員として伸びていくものなのです。
50代半ばの女性は約10年間勤務して、勤務態度もよく、仕事熱心でした。残念でしたが、体の具合を悪くして、60代半ばで辞めました。重度の知的障がいということで、私の実感でいえば、3~5歳の子どもと接しているような感覚でしたね。たとえば、「こんな仕事は、やりたくない!」と大きな声で出して駄々をこねる。あるいは、仕事を指示すると、「はい、わかりました」と答える。けれど、違う作業をする。「なぜ、そんなことしているの」と尋ねると、指示を理解していないようでした。
この女性のつながりで、障がい者の方がうちで次々と働くようになった。当時、健常者は5人程で、重度の知的障がい者が約10人。労働省(現 厚生労働省)や地元の市役所の職員が不思議に思ったようで、視察に来ました。健常者よりも障がい者がはるかに多いから、何かを感じたのかもしれませんね。
ある日、健常者のパート社員が「障がい者の人たちと一緒に仕事はできない」「私が社長だったら、こんな人たちを雇わない」と不満を言うんです。ショックだったね。それで、つい言い返したんです。
「あなた、この前、恵まれない人にお金を寄付したと職場で話していたよね。それでいて、我々の仲間に対して何を言うの?」
パート社員は不満だったのか、辞めました。私は差別に敏感です。以前は、差別される側でした。22歳の時にアメリカへ行ったんです。留学でも、就職でもない。生きていくために様々なアルバイトをしました。英語のレベルは低いし、コネもないから、すぐにアンダーになりました。最下層に…。