2024年12月3日(火)

西山隆行が読み解くアメリカ社会

2019年5月29日

 最も保守的な州のひとつとされるアラバマ州で、全米で最も厳しい人工妊娠中絶禁止法が成立した。「人命保護法」と名付けられた同法は、州議会の上下両院で多数を占める共和党によって提出・可決され、ケイ・アイヴィー知事が署名して成立した。同法では妊娠が医学的に確認できる時点以降の中絶手術が禁止され、例外は、母体の生命に重大な危険が及ぶ場合と、胎児に致命的な異常がある場合に限定される。中絶手術を行った医師には、10年以上99年以下の禁固刑が科される。民主党は強姦と近親相姦による妊娠を対象から外す修正案を出したものの、反対多数で却下された。

 この法律は、人工妊娠中絶を女性の憲法上の権利として認めた1973年の連邦最高裁判所のロウ対ウェイド判決と対立する内容を含んでおり、リベラルな判例を覆そうとする保守派による法廷闘争の一環とみなされている。

アラバマ州の中絶禁止法をうけて、全米各地で抗議デモが起きている(写真:ロイター/アフロ)

 日本では人工妊娠中絶は一般に認められており、中絶の是非が政治争点化することはない。それに対しアメリカでは、中絶問題はジェンダーや宗教の問題と関連づけられて政治争点化している。中絶容認派は女性の選択を重視するという意味でプロ・チョイス派と呼ばれる。他方、中絶反対派は胎児の生命を重視する観点からプロ・ライフ派と呼ばれている。プロ・ライフ派は、旧約聖書の創世記で神が「産めよ、増えよ」と述べたことや、モーゼの十戒で「汝殺すなかれ」と定めていることが、中絶を容認できない根拠だと主張する。カソリックや福音派プロテスタントを中心とする宗教右派が中心であり、全米生命権利委員会やイーグル・フォーラムのような利益集団を構成している。今日では下火になったものの、中絶手術を行った病院にピケを張ったり、妊婦の入院を実力で阻止しようとしたり、病院を爆破したりする、オペレーション・レスキューのような過激な団体も存在した。

 中絶をめぐる問題は、アメリカの文化戦争の最重要争点と位置付けられているのである。

画期的判決と位置付けられた「ロウ判決」

 中絶をめぐる議論には、一体いつの時点から細胞が「人間」となるのかという問題が伴う。アメリカでも、胎児が母体から出て(=生まれて)から処置をするのは殺人であり、容認できないというコンセンサスがある。では、どの段階までならば中絶が容認されるのだろうか。宗教右派から「最も倫理的な大統領」と称されたジョージ・W・ブッシュは、受精卵は既に生命を持つ人間だと発言したことがある。それに対して、「着床しなかった受精卵が生理で流れてしまうのは現代のホロコーストなのか?」という批判がされたことがあった。当時ブッシュが示した立場は一般的な賛同を得ているとは言えないが、受精卵から出生までのどの段階でヒトとなり、どの段階までなら中絶が容認されるかは論争の種となっている。

 同時に問題となるのは、中絶を行う理由として何が認められるかである。女性に健康上の問題があり、中絶をしなければその生命が危うくなる場合については比較的賛同が得られやすい。では、強姦されて妊娠した場合はどうなのか。近親相姦に基づく妊娠の場合はどうか。経済的理由に基づく中絶は認めてよいのか。これらの点をめぐっては激しい論争が展開されている。

 これらの点について連邦最高裁判所が一定の立場を表明したのが、先に言及した1973年のロウ判決である。連邦最高裁は、合衆国憲法修正第14条の下で保護される基本的人権としてプライバシーの権利が存在し、女性が妊娠を終了させる権利もそれに含まれるとの立場を示した。

 ただし、女性が中絶を選択する権利に対して、胎児を保護するという州の利益によって一定の制限をかけることも可能だとした。すなわち、妊娠期間を三期に分けて、第一期には州は中絶を禁止したり規制したりすることができない、第二期には州は中絶を禁止してはならないものの母体の健康のために合理的な範囲内で規制することができ、第三期には理由によらず中絶を規制することができると判断したのだった。この判決は、中絶を女性の権利として認めるとともに、妊娠期間を三つに分けることで上述の問題に回答を示したものであり、画期的判決と位置付けられたのだった。


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