2024年12月4日(水)

ヒットメーカーの舞台裏

2012年1月13日

 燃費はJC08モードで30キロ、価格は売れ筋のグレードで100万円を切るというのが骨子である。さらに使い勝手の面から、当初の2ドアから4ドアとし、車体の全長も約30センチ伸ばす変更を織り込んだ。その分、車体重量は増すので燃費には不利となる。10年春に企画案は承認され、開発が再スタートした。発売までに残されたのは17カ月だった。

部門最適ではなくイース最適
可能にしたのは自己完結組織

 通常、新モデルを立ち上げるのには4年かかる。原型モデルがあったとはいえ、クルマ開発の常識を超えた時間しか残されていない。その非常識を突破することができたのは、トップが指示した「自己完結型プロジェクト」の採用だった。

 上田と上司の担当役員の2人で、すべての案件を決裁できる仕組みとしたのだ。同時に各部門のエキスパートをチームに参画させる人選もプロジェクトに委ねられた。この結果、企画から開発・調達・生産・販売に至る約30人が集結、スピーディーな意思決定の体制が整った。上田は各自に「部門最適でなくイース最適」で業務を遂行するよう訴えた。

 ミライースはその名の通り、セダンタイプの中核車種である「ミラ」をベース車両としている。ミラに比べ約60キロの軽量化や、パワートレインと呼ばれるエンジンと変速機の改良などにより、燃費は約40%もの改善となった。燃費性能とコスト低減の両立を支えたのは、「設計をゼロベースで見直し、部品の“素質”を上げていくこと」だった。

 この場合の部品の素質とは、強度や安全性能などの基本要件を満たしながら、作りやすく、軽くかつ低コストにできるということだ。車体骨格を例に取ると、設計の見直しで部品点数を15%減らすことができた。その結果、軽量化=燃費向上だけでなく、加工工数や素材コストの低減ももたらした。

 こうした開発の過程で「自己完結型」チームの狙いは、徐々にメンバーに浸透していった。上田は日々「メンバーの思考回路が変わり、一体感が醸成される」ことに手ごたえを感じた。このプロジェクト形態こそが、「性能面での高いハードルと時間のカベを乗り越える原動力になった」と振り返る。上田チームはまだ解散しておらず、低燃費・ローコストの「イース・テクノロジー」を他のモデルに展開するミッションに取り組んでいる。(敬称略)


■メイキング オブ ヒットメーカー 上田 亨(うえだ・とおる)さん
ダイハツ工業 技術本部 エグゼクティブチーフエンジニア・理事

上田亨さん (写真:井上智幸)

1960年生まれ
奈良県安堵町に生まれる。木登りや魚釣りが好きなやんちゃ少年だった。小学生になると、工作が好きで糸巻き車のおもちゃやイスなどをつくっていた。中学生のときから、工学部に進学したいと考えていた。
1978年(18歳)
都会より地方の大学で学びたかったため、信州大学の繊維学部繊維機械学科に進学。車に興味を持ったのはこの頃。長野県はラリーが盛んだったこともあり、大学の自動車部と日本自動車連盟(JAF)公認のラリーチームに所属し、競技に熱中した。関西に本社があることと、実家からも近いこともあり、就職先としてダイハツ工業を志望した。
1984年(24歳)
ダイハツに入社。希望していたシャシー設計部に配属され、足回りの設計を担当。キャリアとしては、シャシー設計が長い。また、軽初のABSやVSC(横すべり防止システム)の開発を行い商品化したが、開発では単なる設計者に留まらず、学生時代の雪道走行経験を活かし、自ら評価も行った。その後、評価部署も経験。
2008年1月(48歳)
チーフエンジニアに就任。就任当初からミライースの製品企画に携わる。更なる燃費向上に加え、環境変化に対応したモノづくりをこれからも続けたい。

 

◆WEDGE2012年1月号より


 




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