来年1月に実施が予定される台湾の総統選が本格化している。与党民進党では、現職の蔡英文総統に対し、頼清徳・前行政院長(首相)が予備選に名乗りを上げ、当初は蔡氏を支持率で大きく上回る情勢となっていた。しかし、6月10-12日に実施され、13日に発表された世論調査(この結果により党公認候補が決定される)では、蔡英文が勝利を収めた。
候補者選出は、5つの独立した世論調査の結果を平均する形で行われた。民進党の発表によれば、蔡英文は、頼清徳に対し8.2%、国民党の最有力候補と目される韓国瑜・高雄市長に対し11%、無所属での出馬の可能性がある柯文哲・台北市長に対し13%のリードを獲得したとのことである。
昨年11月の統一地方選挙で民進党は大敗を喫し、その大きな原因の一つが蔡英文の不人気ぶりであるということで、蔡氏は党主席を辞任、求心力を大きく損ねた。それが、何とか民進党の公認候補として選出されるに至ったのは、外交・安全保障政策が要因であると思われる。統一地方選挙で問われたのは、もっぱら内政問題であり、確かに蔡英文は総統として内政面では満足な結果を出していなかった。
これに対し、外交面では、米国のトランプ政権による台湾重視政策、「台湾旅行法」(米台間の高官の交流を勧奨)、「国防授権法2019」(米国による台湾への武器売却を促進)などの助けもあり、米国との関係を着々と強化してきた。台湾の生存にとり、米国との関係強化は死活的に重要なことである。最近では、5月に李大維・国家安全会議秘書長が訪米し、米側カウンダ―パートであるジョン・ボルトン国家安全保障担当補佐官と会談した、と報じられている。これは、1979年の米台断交以来、初めてのことであり、米台関係が前例のない緊密なものになっていることの証左である。また、6月初めには、米国が台湾に対し、戦車、対戦車ミサイル、携帯式防空ミサイル、合計26億5100万ドル(約2900億円)相当の、トランプ政権下では最大規模となる武器供与を進めようとしている、と報じられている。台湾の国防部は、この武器売却を米側に要請したことを認めている。
蔡英文の、外交面での最近のもう一つの大きな得点は、対中姿勢を明確化した点であろう。とりわけ、今年1月の習近平による台湾政策演説(一国二制度による台湾の統一、武力による統一を辞さないなどの内容)の後、厳しいトーンとなっている。一国二制度を強く拒否し、台湾の、自由、民主主義、主権を守ることを明言するようになった。元来は、蔡英文は現状維持を標榜する穏健派で、頼清徳の方がより急進的な独立派であった。しかし、最近では、両者の差異が小さくなってきたように見える。折しも香港では「逃亡犯条例」の改正をめぐる大規模デモが起こり、中国の言う「一国二制度」への台湾人の懸念を強く掻き立てたことは想像に難くない。
こうした外交・安全保障の環境を踏まえ、民進党支持者としては、中国の台湾に対する圧力が強まる中で、現職の総統を予備選で引きずりおろすのは賢明ではないと判断する者が増えたことが、今回の結果につながった一つの大きな要因と思われる。他の要因としては、蔡英文は若年層における支持率が高く、予備選の世論調査を当初の固定電話のみから携帯電話を対象に拡大したことがある。実施方法の変更や、蔡・頼間での調停の試みなどもあり、当初は4月に予定されていた予備選が、5月、6月と2度にわたり延期された経緯がある。これまで頼清徳は、蔡英文側が自分に有利になるようルールを変えていると反発してきたので、党内の分裂も懸念される。ただ、頼清徳は予備選敗北後、直ちに、蔡総統に本選での勝利を祈るとして協力を約束する電話をするなど、分裂を回避する努力をしているように見える。今後、蔡総統・頼副総統候補を模索する動きも出てくるだろう。いずれにせよ、蔡英文が予備選で敗北してレームダック化するのを免れたことは、地域の安定のためにも良い結果であったと言えよう。
国民党の総統候補は7月に決まる予定であるが、有力候補2人、韓国兪と郭台銘(鴻海科技・鴻海精密工業会長)は、いずれも親中的であり、当選すれば台湾が中国に飲み込まれるのではないかと懸念が高まっている。今のところ、香港の状況を目の当たりにして、台湾人の民意は過度の親中姿勢に批判的と思われ、蔡氏側に有利に働くとともに、韓・郭両氏の対中姿勢を掣肘していると考えられる。しかし、総統選は半年以上先のことであるし、蔡英文の弱点である内政も当然争点となってくる。予断は許されない。来年の台湾の総統選挙は、地域の地政学的環境に極めて大きな影響を与え得るものとして、目が離せない。
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