2024年4月25日(木)

日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔

2019年8月15日

根こそぎ処刑された台湾の「228事件」

 1947年2月に台湾で起きた「228事件」は、日本の敗戦後、台湾を占領統治していた国民党政府のあまりの腐敗ぶりに、堪忍袋の緒が切れた台湾の人々が立ち上がった事件として記憶されている。

 闇タバコを売っていた女性への過剰な暴力が引き金となり、鬱憤をためていた市民の、当局への怒りが爆発したのだ。抗議のデモ隊は政府機関へと大挙して押し寄せたが、恐れをなした国民党側は機銃掃射でもって彼らの声に応えた。それによってさらに多くの人々が抗議活動を展開する結果となった。

 劣勢とみた当時の行政長官、陳儀は話し合いを求める台湾の人々の要求に応え、話し合いの場を設けた。それによって人々が求める要求を尊重する姿勢を見せながら、一方では中国大陸に援軍を要請し、時間稼ぎを図っていたのだ。結果、大陸から送り込まれた軍によって、抗議活動に参加した人々は根こそぎ捕らえられ処刑された。話し合いの場は、ただの時間稼ぎにすぎなかったのである。

 このとき、すでに日本から台湾へと戻っていた李登輝も、いちど話し合いの場を聴講したことがあるという。しかし李登輝は、国民党側の反応を見て「どうもいけない。のらりくらりと話し合いを引き伸ばしにかかっているようにしか見えない」とあわててその場を去ったそうだ。

 自身も「知識階級」である李登輝は、その後、国民党によって展開された掃討作戦から逃れるため、大稻埕(台北西部の繁華街)にあった親友の家の米蔵にしばらく身を隠して難を逃れている。

 中国人の本性は70年前も現在も、微塵も変わっていない。まさに「口と愛想はタダ」ではないが、口先ではなんとでも言えるし、相手を懐柔するためにときには譲歩したように見せかけるのも常套手段なのである。

 香港の自由はもはや風前の灯といってよい。空港機能を停止させ、香港当局は一気にデモ隊を潰す作戦だろう。私たちも、自由民主的な基準で香港当局や中国政府を考えることは間違いだった、と気づかなければならない時が来ている。一党独裁の人治国家がその存続のため、香港に牙を剥いたあとには、台湾そして日本がターゲットになるという危機を改めて認識するべきだろう。

連載:日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔

早川友久(李登輝 元台湾総統 秘書)
1977年栃木県足利市生まれで現在、台湾台北市在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学卒業後は、金美齢事務所の秘書として活動。その後、台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフを務めるなどして、メディア対応や撮影スタッフとして、李登輝チームの一員として活動。2012年より李登輝より指名を受け、李登輝総統事務所の秘書として働く。

  
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