2024年7月16日(火)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2019年10月7日

習近平時代

 だが、習近平政権の登場に伴って、対外姿勢は変化を見せる。すでに「韜光養晦」の時期ではないとでも言わんばかりに、一帯一路を前面に押し立てた積極攻勢に転じたのである。

 じつは2012年の習近平政権誕生前夜、中国では「韜光養晦」を脱し、より積極的な対外姿勢を打ち出す著作が数多く出版されている。

 いま、その典型として国防大学で軍隊建設学科・軍隊管理学科主任兼軍隊建設研究所所長の劉明福(解放軍大校)が著した『中国夢 中美世紀対決・軍人要発言』(中華書局2010年)を挙げてみたい。

 裏表紙には、「21世紀の『強国の夢』……やってやろうじゃないか」「世界が必要としているのは中国の『王道』か、それともアメリカの『覇道』か」「『和平崛起』の前提は『軍事崛起』だ」「アメリカが相手だ。中国に退路はない」「『経済大国』だけではない。中国には『軍事崛起』が必須だ」「中国の軍事崛起はアメリカを打ち破るためではない。アメリカに打ち負かされないためだ」――なんとも威勢よく勇ましいキャッチコピーが並ぶ。

 表紙を開くと、徹頭徹尾に勇猛果敢な議論が展開される。

 清朝を倒した辛亥革命を指導した孫文は、アヘン戦争を機に「中国が地球上で最も弱い国」と成り果てた時代に「中国を『世界第一の富強の国』にしようと呼びかけ4億の人民に『立志』を求めた」。その「偉大な先駆的精神は、今日の中国人をして感動させずにはおかない」。

 次いで「地球上の人類にとって最も光栄ある偉業は中国人こそが打ち立てるのである」「中華民族は世界で最も古い歴史を持ち、最も人口が多く、最も文明が発達し、最も強い同化力を持ち、(中略)世界で最も優秀な民族である」「実業を発達させるためには『対外開放』をなければならない」「模倣では『世界一』は不可能であり、必ずや『独創の精神』が必要である」「強大な軍備がなければ、国家は立ち行かない」「アメリカを学びアメリカを超越する」などといった孫文の発言を引用しつつ、「『世界第一』という中国百年の夢想」の実現を目指せと獅子吼する。

 毛沢東も鄧小平も、孫文と並ぶ「世界第一主義者」である。世界第一の中国こそが、①発展途上国が先進国を打ち破り、②中国の特色を持つ社会主義が世界最大の資本主義国より優れ、③東方文明が生命力・創造力で西方文明を凌駕し、④白人優越主義を退け、⑤西欧中心の優越感を打ち砕く。「現に進行中の中国が世界一になるという偉業は、経済的意義にとどまらず、政治的・文化的意義を秘め、将来の中国にとてつもなく大きな政治的・道義的資源をもたらすことになる」と続け、アメリカを凌ぐ軍事力こそが世界第一の中国を支える前提であると軍備の増強・近代化を強く訴える。

 最後に「政治的・道義的資源」を備えた世界一の中国こそが、3つの奇跡――①アメリカ式民主主義より優れた「『中式民主』の奇跡」、②福祉国家より均等の「『財富分配』の奇跡」、③多党政治より公平な一党独裁下での「『長治久廉』の奇跡」――を人類にもたらす。長期に安定した不正・汚職のない政治情況を「長治久廉」と呼び、「富強の中国こそ必ずや清廉な中国である」と付け加えることを忘れてはいない。

 ――解放軍の生みの親の1人で近代的軍事教育を進めた劉伯承を記念する劉伯承科研成果特等奨を受賞している劉明福の著書には「韜光養晦」の色合いは全く感じられない。

 ここで「韜光養晦」を受け入れた世代とその後を分ける要因を考えと、彼らが育った時代環境の違いに思い至る。建国前の生まれと建国後の生まれ、物心ついてから毛沢東を学んだ世代と生まれた時に既に毛沢東は神だった世代――このような世代の違いを「10年の大後退」と語られる文化大革命に重ね合わせるなら、前者は成人後に、後者は未成年(あるいは幼少期)で体験していることが指摘できる。

 たとえば1972年のニクソン・毛沢東会談の仕掛け人の1人で、その後の米中関係に大きな影響力を発揮し続けるキッシンジャーは、「文化大革命による社会崩壊の時期に成人となった中国の指導部世代にとって、この理論(筆者注:「平和的台頭」と「調和の取れた世界」を示す)が描いているのは、魅力的に見える大国への道筋だった」。「中国はついに、アヘン戦争と外国の侵略に立ち向かった世紀を乗り越え、いまや国家再生の歴史プロセスに踏み切った」。

 国家再生の過程で「経済的台頭」に加え「軍事的台頭」が必要であるという主張がみられるようになった。文化大革命を挟んだ世代の違いが対外姿勢に反映され、内向的・微温的な「平和的台頭」「調和のとれた世界」から外向的・攻撃的な「経済的台頭」「軍事的台頭」へと変化を見せる――と主張する。『キッシンジャー回想録 中国(上下)』岩波書店 2012年)

 そういわれれば「和諧(調和と和解)社会」の建設を掲げた胡錦濤前国家主席は1942年の生まれ。建国時には7歳であり、大躍進がもたらした飢餓地獄を16~19歳で生き抜き、文化大革命が始まったのは24歳である。まさに「文化大革命による社会崩壊の時期に成人となった中国の指導部世代」である。一方、現在のトップである習近平国家主席(1953年生まれ)は「文化大革命を未成年期に乗り越えた世代」といえるだろう。

 これを言い換えるなら胡錦濤世代は「抗美」を、習近平世代は「趕美(かんび)」を共に毛沢東によって幼年期の柔らかい脳に刷り込まれていたことになる。

 ――このように建国以来の70年の歩みを振り返った時、これまで我が国メディアが好んで伝えてきた「中国経済バラ色論」から「中国崩壊論」までが、じつは中国自らが向き合わざるをえなかった現実とは異なるバーチャルな姿に基づいた安易な判断でしかなかった。これからも中国の経済は必ずしもバラ色ではないし、また中国は崩壊もしないだろう。やはり彼らは、日本人が思い込んでいるように振る舞うわけではない。同時に日本人は、中国を自らの“背丈や好み”に合わせるかのように描くべきではない。

 であればこそ当面の米中冷戦状況を、「文化大革命による社会崩壊の時期に成人となった中国の指導部世代」によるトランプ政権との間の関税掛け合いのチキン・レースとしてではなく、「『世界第一』という中国百年の夢想」を実現するためには避けては通れない「趕美」の過程と見做すべきではないか。

 「21世紀の『強国の夢』……やってやろうじゃないか」などといった威勢のいい掛け声が、現実の政治に直接的に反映されるとは思えない。だが、そのような夜郎自大の雰囲気が、習近平政権周辺から漏れ伝わってくることを肝に銘じておきたいものだ。

  
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