足立倫行のプレミアムエッセイ

2019年12月4日

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(RolandBlunck/gettyimages)

 11月9日は、ベルリンの壁が崩壊してから30年の節目の日だった。NHKや各新聞でさまざま特集が組まれ、幾つかに目を通した。

 「東西ドイツ」と聞いてすぐに思い浮かぶのは、38年前に訪れた東ドイツ(ドイツ民主共和国)の光景と人々である。

 その時の私は駆け出しだったが、旅行雑誌に頻繁に記事を書き始めた時期なので、政府招待の記者9名の中に滑り込めたのだ。

 ガイド・通訳付きの特別バスで東ドイツの各地を回った。東ベルリン市内観光、バッハゆかりの聖トマス教会があるライプツィヒ、文豪ゲーテの旧居が残り、近代デザインの源流バウハウスがあるワイマール。そしてナウムブルグ。エアフルト、アイゼナッハ……。

 どこも静謐で古色蒼然としていた。戦前のヨーロッパに紛れ込んだような佇まい。

 だが、静謐と監視は裏表。ライプツィヒ駅でカメラを取り出したとたん、一人の男が近寄り手で制した。顔は笑顔だが両目が笑っていなかった。ベルリンの壁の前でこちら向きに銃を構えた警備兵の姿が蘇り、ゾッとした。

 シュタージ(秘密警察)に注意すべし!

 ただ、それでも私は、雑誌に記事を書く以上、お仕着せの名所旧跡だけだなく、そこに暮らす普通の人々の生活も知りたいと思った。

 ある伝(つて)で、ある町の若夫婦を、「1時間だけ」の条件で単独取材できることになった。

 20代後半の技術者と教師の夫婦で、古い木造3階建て集合住宅暮らし。周囲を見回し誰もいないのを確認し、スッと中に入った。

 2階の居間は床が傾いでいたが、壁紙も絨毯も上品でこざっぱりしていた。紅茶を運ぶ妻は素肌に赤いセーター、夫は上下とも白の服、2人ともスキーなどスポーツが趣味だ。

 「妻の祖母の家だから国営アパートに引っ越したいけど2、3年待ち。一戸建て? 彼女は望んでいるけどまず無理だよ。車(国産車トラバント)だって、4年前の結婚当初から申し込んでいるのにまだ手に入らないもの」

 夫は愚痴るが、深刻さはない。夫婦共働きでまだ幼児1人。収入が平均以上なのだ。

 日本について知っていることを聞いた。

 夫「工業が発達した世界一勤勉な国」、妻「毎日お米ばかり食べている国」

 文化方面には2人とも知識がなかった。

 「じゃ日本の人口は?」

 「3000万人くらい、たぶん」

 夏は森でキャンプ、冬はスキーが最大の楽しみという夫婦に、「人生の夢」について尋ねてみた。顔を見合わせ、夫が言った。

 「一生に一度でいいからオーストリアに行きたい。アルプスの雪で滑ってみたい」

 社会主義国の庶民が国外に出ることが厳禁だった時代である。まして体制の異なる西側諸国へとなると、「絶望的な夢」だった。

 私は遠くを眺める夫の横顔と、頷く妻の顔を見詰めた。旅行中、この時ほど冷戦の構造を日常レベルで実感したことはなかった。

 その冷戦が1989年11月のベルリンの壁崩壊で終わった。正式な終結は同年12月のブッシュとゴルバチョフの首脳会談(マルタ会談)だが、いずれにせよ30年前である。

 イデオロギーによる世界戦争の危険が去ったのだから、唯一の覇権国アメリカを基軸とした資本主義と民主主義が地球を覆う平和な時代がくる、と誰もが思った。ところが、事態はまったく意外な方向へと進んだ。

 2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが発生、米主導の国際秩序に断固反対するイスラム過激派の存在が浮かび上がった。

 2008年9月、リーマン・ショックによる金融危機で世界が激震。金融資本主義がマネーゲーム化して弾けてしまったのだが、これは資本主義社会の行き詰まりをも示していた。

 改革開放政策で「奇跡の成長」を遂げた中国は、2010年に世界第2位の経済大国に躍り出た。西側とは異なる強権的な社会主義市場経済により、経済・軍事・ITの各分野で急速にアメリカの地位を脅かし始めた……。

 その結果、日本はどうなったか?

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