アジア・太平洋戦争において、終戦から敗戦までほぼ全海戦に参加しながら、大破なく生き残ったのが「奇跡の駆逐艦」〈雪風〉。
漫画家の水木しげるさんが、南方のラバウルで何度も九死に一生の体験を経た後、昭和21(1946)年3月、三浦半島浦賀に復員した時に乗船していたのがその〈雪風〉だ。
「復員船は、ミッドウェーやソロモンの海戦をほぼ無傷で潜り抜け、“奇跡の駆逐艦”と呼ばれた「雪風」だった。奇跡の生還に相応しい船といえよう」(『水木しげるの戦争 ゲゲゲの新聞』ミュゼ)。
私は、足かけ3年かけて同郷の水木さんに関する本(『妖怪と歩く ドキュメント・水木しげる』)を書いたが、平成27(2015)年の水木さんの逝去後4年もたって、〈雪風〉の乗務員に会うとは思いもしなかった。
当時復員輸送船〈雪風〉で復員官を務めたのが、今回著者インタビューで面会した西崎信夫さん(92歳)。『「雪風」に乗った少年ー十五歳で出征した「海軍特別年少兵」』(藤原書店)のタイトル通り、西崎さんが今も存命で元気なのは、15歳で出征して、年齢が水木さんより5歳若いせいである。
昭和16(1941)年創設の海軍特別少年兵(特年兵)を知る人は旧海軍でも少ない。
というのも、艦艇などの中堅幹部養成のため、全国の14~16歳の優秀な少年を対象に創設されたのだが、戦局悪化のため教育期間を短縮し、一般志願兵と変わらぬ補充要員として第一線部隊に送り込まれたからだ。第1期生の場合、計3200人中の約2000人が戦死した(死亡率約62・5%)。
三重県の農家に生まれた西崎さんは、夜間の定時制中学に通っていた時、村役場から推挙され、10倍の競争率を突破して合格した。
その「誇り」と、実際に16歳で〈雪風〉に乗艦後の現場における「人命軽視」の事実から、西崎さんは人一倍、軍隊の裏と表、戦争の本音と建前に敏感な兵士となった。
「ご本人の感受性もあるんでしょうけど、記憶が鮮明で観察力もとても鋭い。ぜひ一冊にまとめたいと思いました」
今回の西崎さんの本の編者になった小川万海子さん(52歳)が言った。
小川さんは講演会で、戦艦〈大和〉が撃沈された沖縄水上特攻作戦などの西崎さんの体験を聞き、「西崎さんの戦争体験なら現代の人にも十分理解できる」と感じたのだ。
それは例えば、次のような戦闘シーンだ。
水雷科員の西崎さんは敵機に足を撃たれ負傷したが、甲板の機銃射手が戦死したため、突然交代を命じられた。1年弱の海兵団時代に操作は習ったものの、実弾体験などない。
それでも敵機が自動でダダダッと撃ってくると、単発でタン、タンと撃ち返した。
やがて異変を感じた。恐怖心が殺意に変わり、快感さえ覚えたのだ。西崎さんは「私は人間でなくなっていた」と述懐する……。
西崎さんの少年兵らしい「感受性」は、忘れられがちな一般兵の最期も見逃さない。
銃の撃ち方も知らず召集され、妻子を思い玉砕したサイパンの中年補充兵たち。〈大和〉撃沈で重油の海に漂流し、「あと少し」で救助できず沈んでいった水兵たち……。
小川さんは、西崎さんの原稿の中でそうした箇所を膨らませ再構成した。そして筆鋒は、日本の軍隊の「宿痾」にも及ぶ。