足立倫行のプレミアムエッセイ

2019年6月28日

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(chameleonseye/gettyimages)

 中国の天安門事件のその後を追った安田峰俊さんのルポ『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(KADOKAWA)が、第50回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。

『八九六四』

 1989年の6月4日の天安門事件は、民主化を求めて北京の天安門広場に集まった学生や市民らに対し、政府が軍を投入して武力弾圧した事件。中国が民主化に背を向け、一党独裁による経済成長路線へと舵を切る契機となった事件だが、正確な犠牲者数は現在も不明なままだ(当局の発表は319人、政府筋のある情報によれば1万人規模とも)。

 昨年『ウェッジ』でインタビューした時に安田さんは、「日本人は天安門事件に対して一般の中国人より思い入れが強い」と語っていた。自分を振り返ると、確かにそうだ。

 私は過去に3度、取材で中国を訪れたが、華中や華南ばかりで北京取材はなかった。

 そこで92年の訪中では、北京空港で乗り換えるまで数時間あると知り、タクシーをチャーターして急いで市内の天安門へ向かった。

 故宮入口の南口に広がる天安門広場は44万平方メートル、東京ドーム9・4個分の面積で約100万人の収容能力がある。低い柵に囲まれ人影もまばらな広場を車で周回した。

 四角柱の人民英雄記念碑の周辺は学生たちが占拠していた場所だ。後方に毛沢東の遺体を安置した毛主席記念堂があり、碑と記念堂の間にも当時たくさんの学生テントがあったが、4日未明に人民解放軍に一掃された。

 私は3年前のTVニュースの映像を思い出し、「ここが歴史的虐殺の舞台か!」と興奮しながらカメラのシャッターを切った。

 そんな私を運転手は無表情に眺めていた。

 今回の本は、安田さんが「民主化運動が正しいなら、その後長期間なぜ同様の運動が起きないのか?」を事件関係者数十名のインタビューから探ろうとしたものだが、結論から言えば、「天安門事件に(少なくとも現在の中国人は)共感できなくなっている」という。

 つまり、興奮していた私よりシラけていた運転手の方が「歴史的検証に耐えた」のだ。

 では、どうして中国ではそうなったのか?

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