4年ぶりにJ1に復帰した2019年シーズン、松本山雅FCの2万人収容のホームスタジアムには平均1万7416人の観客が詰めかけた。収容率約90%はJリーグの全クラブの中でもトップレベル。地元企業はじめ約700社がスポンサードしており、日本を代表する地域密着型のクラブチームである。
成績は振るわず来シーズンから再びJ2へ降格が決まったものの、これほどの人気を呼ぶ秘訣は、市民が主体的にクラブを支援してきたことにある 。
松本山雅は1965年に、長野県選抜の選手を中心に結成された。選手たちが当時よく通っていた松本駅前の喫茶店「山雅」がチーム名の由来で、県リーグや北信越リーグといった地域の社会人リーグに所属していた。
2002年、日韓共催のサッカーW杯で、パラグアイ代表が山雅のホームスタジアムである「サンプロアルウィン」をキャンプ地にしたことをきっかけに、「Jリーグ入りを目指そう」という声が高まり、03年に地元の若手経営者が中心となって山雅を運営するNPO法人アルウィンスポーツプロジェクト(ASP)が結成された。
Jリーグ入りに向けて越えなければならない壁は2つあった。一つは、ホームタウンとなる自治体がクラブ支援を文書で示すというもの。ASPが中心となって署名活動を展開し、09年に実現した。
もう一つの壁はJFL参入に向けて勝ち上がることだ。ASP結成と同時期にサポータークラブ「ウルトラス松本」を立ち上げた疋田幸也氏は、そのステップを間近で見てきた一人だ。
「当初は、選手の家族くらいしか見に来る人がいない」(疋田氏)という状況だったが、05年に北信越リーグで優勝した辺りから、徐々に応援を手伝わせてほしいという人が集まってきた。疋田氏らは、会社が終わったあと、ファミリーレストランに集合し、応援方法、サポーターの増やし方を話し合い、応援歌も作った。
市民サポーターを増やそうとした疋田氏が意識したのが「敷居をなくすこと」だった。初めてスタジアムを訪れた人もゴール裏で一緒に応援に参加してもらうように呼び掛けた。 ゴール裏は〝コアサポーター〟が陣取る聖域。 本来なら〝にわかファン〟は簡単に近づかない。メインスタンドの方が試合も見やすいが、あえてコアサポーターと一緒に応援してもらい、一体感の醸成に努めた。
疋田氏らは「ゴール裏歓迎」という横断幕を掲げ、実際にスタジアム内を回り、にわかファンの勧誘を行った。子どもたちに太鼓たたきや、応援の先導役をしてもらうイベントも企画した。「サッカーを知らなくても応援を楽しんでもらうような環境を作りました。子どもの時にイベントに参加した人が今は応援団の太鼓たたきをやっています」と疋田氏は話す。
JFL昇格に3度目の正直で挑んだ09年。天皇杯予選でJ1の強豪・浦和レッズを破って勢いに乗ると、そのまま昇格を果たした。その時スタジアムは、社会人クラブでは異例の1万人を超えるサポーターが詰めかけた。
松本山雅の神田文之社長は「チームに色がないところが最大の強み。地域の人が何色にも染められるように余白を作り続けている」と強調する。広く地域から応援してもらうためには、特定のコアファンだけを囲い込むのではなく、敷居を作らず、それぞれのスタイルでライトに応援してもらうことが秘訣のようだ。