2024年11月22日(金)

WEDGE REPORT

2019年12月27日

首相はなぜ、ロシアに宥和的なのか

 問題は日本政府がどうするかだ。

 シンガポール合意直後、各メディアは「4島返還」からの方針転換だーと伝えた。安倍首相も「私たちの主張をしていればいいということではない。それで(戦後)70年間まったく(状況は)変わらなかった」と述べ、これまでの日本政府の努力を無視するような発言をして、「2島返還」をめざす方針転換を認めた。

 首相は、歯舞、色丹の返還と国後、択捉での共同経済活動という「2島プラスアルファ」をめざしているようだが、ことしに入って、ラブロフ発言、プーチン発言が伝えられた後も、方針を変えようとしなかった。

 首相はラブロフ発言の直後、自らモスクワに乗り込み大統領と会談した際、さすがに先方の硬い態度にあって「戦後70年以上残された問題の解決は容易ではない」ときびしい状況を認めざるをえなかった。

 しかし、日本政府はその後も、外交青書から「北方4島は日本に帰属する」という表現を削除したり、19年9月にウラジオストクで行われた東方経済フォーラムで首相は大統領に対して「ゴールまで2人の力で駆けて駆け抜けよう」と甘い呼びかけをするなど、すり寄るような妥協的態度を維持し続けた。

今こそ「4島返還」主張に立ち返れ

 そうした努力もむなしく、ロシア側にシンガポール合意による解決を目指す意思もないことが明らかになったいま、政府は「2島返還」を放擲、従来の「4島返還」の方針に立ち戻るべきだろう。

 シンガポール合意直後に、国民に対して、「私とプーチン大統領の手で、必ず終止符をうつ」と大見えを切ったことを考えれば、方針再転換は批判を浴びるだろうし、首相が躊躇するのも理解できる。しかし、いまなら、ロシア側の不誠実な態度に責任を帰すかたちで国民に説明することが可能だろう。

 4島返還は戦後、日本の一貫した方針だった。「日ソ間に領土問題は存在しない」「ソ連に余った土地はない」(グロムイコ元ソ連外相)信じがたいほどなどかたくなな旧ソ連、ロシアと長い年月、粘り強い交渉を重ね、徐々にではあったが、事態を進展させてきた。

 1973(昭48)年10月、田中角栄首相とブレジネフ書記長(いずれも当時)の共同声明で、「第2次世界大戦からの未解決の諸問題を解決してヘ平和条約を締結する」という文言の盛り込みにこぎつけた。1993(平成5)年10月のエリツィン大統領と細川護熙首相(いずれも当時)による「東京宣言」では解決されるべき問題として「歯舞、色丹、国後、択捉」の4島の帰属問題を明記することに成功した。

 「2島返還」はこうした過去の血のにじむような努力を否定するに安易な妥協に等しい。もっといえば国後、択捉を断念することは国家の基本である主権を放棄することにつながる。

 不法であっても居座ってさえいれば日本はあきらめるーという誤ったメッセージを各国に与えることにもなり、尖閣、竹島にも大きな影響を与えることになるだろう。

 解決引き延ばしの意図がみえみえの「引き分け」発言ではあるが、日本とって本来の主義主張である4島返還要求に立ちかえるチャンスと考えればハラもたつまい。

  
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