「客観写生」の本当の意味
「高校時代は外国語にハマって、文芸部もなかったんで、部活も英語部でした。毎日部室に来ては、ペンギンブックスなどの『アリーテ姫の冒険』とか『ロビンソン・クルーソー』なんかを講読してました。我流で翻訳もしてましたね。本に関わる仕事をしていけたらいいなとは思ってました。
高2で文理選択がありましたが、理系でヤマハ発動機の社員だった父は『実学をやってほしい』と、文学部志望にあまりいい顔をしなかった。親は文学にはまるで関心を示さないんです(笑)。ドストエフスキーが好きでロシア文学科に進学したんですが、『罪と罰』みたいな、あんなすごい小説は到底書けないと、俳句の方に行ったという…。
なにか書きたい欲求は幼い頃からあって、実は小学生ですでに童話を書いて、中学になって賞ももらったんです。地元の遠鉄ストア童話大賞という……思いきりローカルな話ですいません(笑)。『ゆきうさぎ』というタイトルで、宮澤賢治や小川未明が好きでしたから、けっこう影響を受けた内容で、書籍化もされました。やはり地元にあったひくまの出版から出てます。静岡には雪は降らないけど、山梨に母方の祖母がいて、そこの雪景色に感激して書いたんです」
“雪片の吾を慕ふあり厭ふあり”
“大景に雪降りわれに雪降りけり”
“象の目の人を哀れむ暮雪かな”
高柳さんに雪を詠った句が多いもそのせいか。当時のイメージが今なお息づいているのだろう。高柳さんの句に接し、高浜虚子が唱えた「客観写生」の本当の意味がわかった気がする。澤田さんへの追悼もいくつか句にしているが、中で強く印象に残ったのが以下の句だった。
“友の名を刻みてみどりさす墓石”
気持ちの整理がまだつかず訪ねられていない友の墓。そこで、「心の中に建てた墓に手を合わせる」。不幸な死を遂げた旧友の話も努めて明るく語っていた高柳さんも、その時だけは寂しげな表情を見せた。
「生の自分を出すより、俳句というフレームの中で事象を見ると、別の人格が立ち上がる。その生を伝えたいんです。言葉で世界を創りたい」と高柳さんは語る。そうやって、どこにあるかもわからぬ友の墓がまざまざと見えてくる。高校で得た生涯の友は、俳人の胸の内で確かに生き続けているのだ。
1980年、静岡県浜松市生まれ。早稲田大学教育学研究科博士前期課程修了。専門は芭蕉の発句表現。2002年、俳句結社「鷹」に入会、藤田湘子に師事。 2004年、第19回俳句研究賞受賞。2008年、『凛然たる青春』(富士見書房)により第22回俳人協会評論新人賞受賞。2009年、第一句集『未踏』(ふらんす堂)により第一回田中裕明賞受賞。2016年、第二句集『寒林』(同)刊行。2017年度、Eテレ「NHK俳句」選者。2018年、浜松市教育文化奨励賞「浜松市ゆかりの芸術家」を受賞。現在、「鷹」編集長。全国高等学校俳句選手権大会(俳句甲子園)選者。読売新聞「KODOMO俳句」選者(今春より夕刊から朝刊に以降。小学生の投稿作品から秀句を4句選び、講評。俳句力・国語力の付くコラムも同時掲載の予定)。(近著)チェコ出身の絵本作家ピーター・シスの『ロビンソン』の翻訳絵本を偕成社より出版。
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