2024年12月2日(月)

名門校、未来への学び

2020年3月22日

 日本を代表する名門高校はイノベーションの最高のサンプルだ。伝統をバネにして絶えず再生を繰り返している。1世紀にも及ぶ蓄積された教えと学びのスキル、課外活動から生ずるエンパワーメント、校外にも構築される文化資本、なにより輩出する人材の豊富さ…。

本物の名門はステータスに奢らず、それらすべてを肥やしに邁進を続ける。学校とは単に生徒の学力を担保する場ではない。どうして名門と称される学校は逸材を輩出し続けるのか? OB・OGに登場願い、当時の思い出や今に繋がるエッセンスを語ってもらおう。

 浜松といえば、平成の大合併以降、日本で2番目の面積を有する政令指定都市。ホンダ発祥の地であり、スズキやヤマハといった国内有数の大企業の本社も擁する産業都市だ。あれこれ悩むよりまず行動を優先する、「やらまいか精神」に基づく、クリエイティビティの高さで知られている。

浜松北高校正門

 この地を代表する学び舎が、旧制浜松中学系譜の浜松北高校(以下、浜北・北高)。著名な卒業生には物理学者で文部相も務めた有馬朗人や、作詞家の清水みのるらがいるが、若手でもジャズピアニストの上原ひろみ、絵本作家の鈴木のりたけといった優れたクリエイターが出ている。有馬もまた俳人としても知られていよう。それぞれに言葉やリズムへの感性に富むという共通項があり、私は不思議に思っていた。

 月刊誌Wedge2月号では、同校が昨年行われた、第14回高校生模擬裁判選手権関東大会で優勝するまでの取り組みを紹介。弁護側・検事側に別れた現役生たちが、弁舌鮮やかに相手校を圧倒する様を活写した。決戦では論理に言葉の力が確かに加わり、見ていても小気味よく、単なるディベートを超えていた。

 現在、TBSの『プレバト』のヒット以降、空前の俳句ブームが巻き起こっている。評者の俳人、夏井いつきの歯に衣着せぬ物言いが受けたのだが、彼女がつねに口にする「17文字しかないんだから文字を無駄遣いしない!」という檄には、同じ物書きとして襟を正される。すっかり散文の世界で生きているが、私も大学時代は俳句を専攻していたのだ。

 そして近年、浜北からも有望な俳人が再び現れた。高柳克弘さんだ。Eテレ「NHK俳句」選者を務めるなどテレビの露出も多く、番組内で俳句初心者に丁寧に教える姿がさわやかで、まさに「俳句王子」の名にふさわしい。俳句を始めたのは大学時代だったが、高校の同級生で同じ早稲田に進んだ澤田和弥さんに誘われたのがきっかけ。高柳さんは露文科の学生だったが、大学院は教育学研究科で松尾芭蕉の研究をするほど、俳句にのめり込んだ。

高柳克弘さん

 「澤田は東洋哲学科でインド哲学を専攻してましたね。寺山修司の熱烈なファンで、俳句にリビドーを込めるタイプなんですよ。バイタリティが強く、俳句研究会に誘ってくれた当人が、同郷の人たちが集まるオールラウンドサークル「稲門会」の方に熱中して、辞めてしまった(笑)。

 早稲田は短歌会のほうが有名で、寺山修司も在籍していましたし、なにしろ『サラダ記念日』の俵万智さんが出ている。前会長だった佐佐木(幸綱)一門ですね。今の会長も(芥川賞受賞)作家の堀江敏幸さん。一方、早稲田の俳句研究会はあまり知られていない(笑)。でも、大橋巨泉さんは出身者で、『巨泉』というのは元々名乗っていた俳号です」

 同じ文学部出身者としては垂涎ものの、綺羅星のごとき名前が次から次。早稲田には確かに一日の長がある。愚父も早大一文の出身なので、ぐっと親しみも沸いてくる。しかし、同じ高校から揃って早大の、しかも文学部を目指すなんて、アラフォーの高柳さん世代でも今どきではない。

 「確かに北高は理系志望が多くて、文系が少数派なんです。そこで自然発生的に文系仲間がグループを作って、放課後や休み時間にあれこれ言い合ってましたね。澤田ともそうした仲間でした。話題もフロイト的解釈だの『死海文書』だとか、ともかくみんな背伸びして、持っている知識をフル稼働させて応じるみたいな。(ミシェル・)フーコーって?とか(笑)。(ロラン・)バルト、(ミルチャ・)エリアーデ、(フェルディナン・ド・)ソシュール…それぞれ難しい本を持ち合って。文学や哲学がまだ生きてた頃ですよね。

 思えば、知ったか(ぶり)もいいところ。わかんないのに超ひも理論とかも齧ったりして(笑)。お互い生意気で、澤田とは凸凹コンビでした。いつも茶化してくるので、競り合っちゃう。澤田は人懐こくて、教えてキャラで仲間に愛されてましたね。小太りで武道もやっていて、気は優しくて力持ちって感じで。

 それでいて僕、オタクには見られたくなかったんです。『新世紀エヴァンゲリオン』に毒されているヤツもいたけど、反骨精神から当時はあえて見なかった(笑)。でも、まさにセカイ系。大人を排除する世界。澤田の句はどこか韜晦めいていたけど、そんな空気を誘発するところがありましたね。」

 私もネオアカ世代なので、わかるなぁという話が続く。澤田さんにも会ってみたかった。彼は後に自死を選んだのだ。高校時代には作家を夢見ていた澤田さんがまず俳句の世界に惹かれ、親友をも引きずり込んだ。その結果、俳壇を担う新星が生まれた。まったく奇しき因縁だ。もっとも、高柳さんの文才自体、高校生の頃にはすでにある程度は形になっていた。


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