名門校、未来への学び

2020年2月7日

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鈴木隆祐 (すずき・りゅうすけ)

ジャーナリスト

1966年長野県生まれ。法政大学文学部在学中より出版社で雑誌編集を始め、その後フリーに。著書に『名門高校人脈』(光文社新書)、『名門高校 青春グルメ』(辰巳出版)ほか。

 日本を代表する名門高校はイノベーションの最高のサンプルだ。伝統をバネにして絶えず再生を繰り返している。1世紀にも及ぶ蓄積された教えと学びのスキル、課外活動から生ずるエンパワーメント、校外にも構築される文化資本、なにより輩出する人材の豊富さ…。本物の名門はステータスに奢らず、それらすべてを肥やしに邁進を続ける。

 学校とは単に生徒の学力を担保する場ではない。どうして名門と称される学校は逸材を輩出し続けるのか? Wedge本誌では、連載「名門校、未来への学び」において、名門高校の現在の姿に密着し、その魅力・実力を立体的に伝えている。だから、ここでは登場校のOB・OGに登場願い、当時の思い出や今に繋がるエッセンスを語ってもらおう。

湘南高校正門(撮影、松沢雅彦)

 湘南高校は毎年9月に行われる、「日本一」と呼ばれる体育祭がとみに知られる。中盤2時間以上に渡って繰り広げられる仮装大会は、学年を縦割りにしたクラス対抗の一大スペクタクルショー。準備のために生徒たちは1年近くを費やす。外務省OBの外交評論家、岡本行夫さんは湘南39回生。体育祭は在校当時も学校行事の柱だったが、今のような華やかさはなかったという。

 「僕の頃にはもう共学にはなってましたけどね。50人のクラスに女子は7人。ほとんど男子校ですよ。(その後進学した)一橋は全学部あわせて600人中1人でしたが…。体育祭以外にも、クラス対抗の水泳、サッカー、駅伝大会と行事が多くて、クラスのヒーローがその度に生まれる。僕も部活でもやっていたサッカーはもちろん、駅伝にも出場し、大会新記録を出しましたよ」

 岡本さんはサッカー部を高2の秋に辞めた。事前に岡本さんと湘南の思い出を探ろうと、ネット上で発見した同窓会報にも、当時の想い出を寄稿していた。

 「よく見つけましたね。もう30年近くも前の会報? じゃ、覚えてないなぁ(笑)。成績が下がって、辞めるように両親に言われて……悔やみました。人生最大の敗北ですよ。不甲斐なくてね、その後、毎日家から海岸まで夜走ったのも、情けなさを燃焼させたかったんでしょう。まぁ、高校時代に足腰を鍛えたおかげか、今でも健康ですよ(笑)」

 それまでややお疲れ気味の表情だったのが、カッと瞳にも力が入った。岡本さんは、朝日新聞の神奈川版に14年秋冬に掲載された『母校群像記』でも、「高校の思い出は家に帰るようなもの。人生で最も多くが凝縮された素晴らしい時期だった」と語っているが、当時を想うと活力も漲ってくるのかもしれない。

サッカーの名門校でもある

 ちなみに湘南サッカー部はまだ“蹴球部”の時代、戦後第1回目の神戸で開催された国体の中学蹴球の部で神戸一中を破って優勝、福岡での第3回には準優勝を飾っている強豪だった。24期にはメルボルン五輪代表選手にも選ばれた小林忠生さんがいる。

 また野球では、古くは1949年に甲子園でも優勝。33年ぶりの優勝旗の箱根越えと評判になった。その際に活躍し、ともに慶大に進学した佐々木信也に衆樹資宏はプロ入りし(佐々木は毎日大映オリオンズなど、衆樹は南海ホークスなどに在籍)、当時の生徒たちの憧れの存在だった。

 最近でも湘南出身のアスリートは多く、東京ヴェルディ1969ユースの所属でこそあったが、ブリオベッカ浦安のDFの笠松亮太や、ラグビーでは部でも主将を務めた、NTTコミュニケーションズシャイニングアークスの栗原大介、野球では北海道日本ハムファイターズの投手、宮台康平もいる。

 「僕の時代は学生運動家になったのも多かった。(1970年に)上赤塚交番襲撃事件を起こして警察官に射殺された、京浜安保共闘の柴野春彦は小学校時代からの親友でした。

 僕は男だけの三兄弟でね、兄も弟も湘南卒。兄は60年安保、弟は70年安保ど真ん中だけど、僕はちょうど中途半端。二人とも東大に行ったけど、弟なんて闘争の時には学校に行けなかった。僕も今から思えば疑似左翼というか、よく反戦デモなんかに参加しました。安保条約なんて読んだことない若造が、外務省入って、ずっと安保畑を歩むなんてね…」

 血気盛んな若者はみな、社会の欺瞞に牙を剥く。そういう時代だったのだ。しかし、三兄弟とも湘南とはさすが優秀な一家。兄は三井物産に勤め、弟はNYで国際弁護士になった。岡本さんの父君も農林省の役人だった。

 「家のすぐそばだったので、湘南しか選択肢はなかった。父にもとやかく言われた記憶はありません。自分は栄光学園に入る秀才タイプでもなく、ましてや慶應のお坊ちゃんでもない。湘南生は社会人になっても、あんまりつるまないんです。湘南は自由で徒党も組まず、そこには惹かれたかもしれませんね。

 近いから下駄履きで通ってましたよ。バンカラを気取ってね。風紀係の、生徒を追っかけるんで有名な先生がいて、村田邦夫と言ったかな。みんななぜだか“ハチ”って呼んでいた。下駄履きは校則で禁止なので、普段は怒られるんだけど、遅刻しそうになって校門までの坂道を走ってると、『湘南、ファイト!』って声をかけてくるの。おかしいでしょう(笑)」

 村田先生は横浜三渓園の原家の執事の家に生まれ、歌人で国文学者の佐々木信綱の秘書も務めたという。三重県鈴鹿市にできた佐佐木信綱記念館の発足にも貢献した。検索をかけると、多くの湘南卒業生が今なお慕う、いや、尊敬しているのがわかる。

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