2024年11月22日(金)

Wedge REPORT

2020年6月2日

「集まること」の価値の解体

 人が集まる状態というのはパワーを意味し、メジャーを意味し、集まることや集まらせることは当然のように歓迎されてきた。集合密度の高さは、経済活動の活性の高さと同義でもあるからだ。ところがコロナ禍により、人の集まれない状態を経験したことで、3つの未来が見えてきた。

 1つは、これまで何らかの制約で集まる場への参加が難しかった人たちが、オンラインという同じ地平に立てることになったこと。これは、「立場のがらがらぽん」が生まれたことを意味する。相対的に、何となくその場にいつもいることで立場を保っていた人たちの存在感は後退するかもしれない。さらに、どうしても消えきることのなかった男女格差が“参加格差”に起因する部分があるならば、オンライン化が進む中でだいぶ緩和される可能性もある。

 もう1つは、参加者に対して本当に意義のある集まり以外は淘汰される動きである。リモートワークが進むことで、本質的な仕事のボリュームや本当に必要な時間が見えてきたのと同様、「とりあえず集まろう」で何となく納得していたこれまでとは違って、そこに費やしていた時間や人間関係の質を再び見直すことになる。

 さらには、「集まること」のそもそもの価値を分解し、その要素を満たす新たな動きも生み出されるだろう。集合状態ならではの高揚感や、情報の共有、そうした状況下でオフィシャルには見せない素顔の一端を知り合うこと、さらには予測できない化学反応が起きることへの期待などが「集まること」の価値だと言える。ならば、これらの要素を満たすための他の手段を導き出し、選択肢を増やしていくといい。

 筆者が試みて面白かったのは「オンライン部活」だった。在宅が基本となる日常の中、いつもは外を飛び回って働いていた人たちにも意外と時間ができていることに気づき、オンライン上でともに筋トレやダンスをして汗を流す部活が始まった。てんでばらばらな地域に住む8人は、仕事を調整して18時きっかりに集合する。毎日顔を合わせ、一緒に汗を流し、徐々にスキルアップしていく。30分体を動かした後は「じゃあまた明日」とあっさり退室するのも清々しい。4月半ばに自然発生したこの部活はもう1ヶ月半続き、結果にもコミットしてきた。

 そしてわたしたちは、いつかリアルで会って踊ろうと約束した。きっとオンラインの比ではなく楽しいはずだ。コロナ太りの阻止を目的とした集まりだったが、ひょっとしたら飲み会などでは達し得ないほど親しくなっているような気もする。体と心は連動しており、ともに体を使えば、心も寄り添うのだと知る。

 実はこれは、田舎の共同作業でできる縁のつくり方と近似しており、バーチャルなのに田舎らしい体験だと感じている。「会って集まる」ことの価値は、一層高まっている。人生の大事な時間を何に使うのか、誰といることに使うのか。それを意識することで、自分の人生に主体的に参加する時間が増えていく。

 長く続いた自粛期間に、さまざまな価値観が揺さぶられた。日常を取り戻そうとしている今、これを単純には喜べず、妙に複雑な気持ちを抱いている人も少なくないのではないか。コロナ前の世界に戻っていくことに対する不安から「逆コロナ鬱」にならないためにも、この時期に手にいれた価値を安易に手放さないようにしたい。

  
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