From NY

2020年6月14日

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田村明子 (たむら・あきこ)

ジャーナリスト

盛岡市生まれ。1977年米国に単身留学し、1980年から現在までニューヨーク在住。著書に『ニューヨーカーに学ぶ軽く見られない英語』(朝日新書)、『知的な英語、好かれる英語』(生活人新書)、『女を上げる英会話』(青春出版社)、『聞き上手の英会話』(KADOKAWA/中経出版)など。翻訳書も多数。フィギュアスケートライターとしても知られており、『挑戦者たち-男子フィギュアスケート平昌五輪を超えて』(新潮社)で2018年ミズノスポーツライター賞受賞。

吉沢誠さん(筆者撮影、撮影のため特別にマスクを取ってもらいました)

活動再開のニューヨークで、日本の寿司を伝え続ける「ZAWA」

 ニューヨーク市で初のCOVID‐19の感染者が確認されてちょうど100日。6月8日から、ニューヨーク市で第1段階の営業規制が緩和し、事業再開がはじまった。一時はゴーストタウン化したマンハッタンにも、少しずつ活気が戻りつつある。

 第1段階の活動再開に含まれるのは、建設業、卸売、製造、一部の小売業で、約40万人が仕事を再開した。だがレストランやバーの店内営業はこれに含まれず、パンデミックによるビジネスへの爪痕はまだ生々しく残っている。老舗の中でも、永久に閉店したレストランも少なくない。

 飲食店は、生き残りをかけてどのように営業しているのか。マンハッタンの高級住宅街、アッパーイーストサイドにある寿司、和食のレストラン「ZAWA」のオーナーシェフに、話を聞かせてもらった。

「寿司職人になるのは、子供の頃からの夢だった」

 宮城県仙台出身の吉沢誠さんは、1990年、23歳でニューヨークに来た。寿司職人になりたいというのは、子供のときからの夢だったという。

 「16歳のときに、高校に行かないで寿司職人になりたいと言ったら、父が賛成してくれた。どうせ修行するなら東京に行けと言われて、知人に紹介していただいた東日暮里の寿司屋に入れてもらいました」

 だが東京での寿司職人の修行は、4年弱で終えた。

 「結局挫折したんです。振り返ると当時の自分はまだ若すぎて…でも田舎に帰りたくなかった。それで従業員用寮のある店を探して、東銀座の蕎麦屋に就職しました」

 吉沢さんはそこに入って数カ月すると、丼物、てんぷらなどを作らせてもらえるようになっていった。ところが人生の方向転換は、思わぬ方向からやってきた。

 ある日、お店の先輩に当時全盛期だった六本木のディスコに連れて行ってもらい、DJという仕事に強烈に惹かれた。音楽が元々好きだったという吉沢さんは、自らも少しずつDJとしての活動もはじめていった。音楽活動を通して人脈がどんどん広がっていき、本場のニューヨークに行きたいという気持ちが膨らんでいったという。

 そして90年、ニューヨークでのDJ活動を目指して渡米した。

 「当時は、ビザもまだ簡単に取れたし、(仕事に必要な)ソーシャルセキュリティ番号もすぐにもらえたんです」

 学生ビザで英語学校に通いながら、自分の作品をカセットテープに吹き込んでナイトクラブに体当たりで売り込みに行った。そして雇ってもらったウェストサイドのゲイクラブで4年間、毎週日曜日の夜のDJを担当したという。

 「もちろんそれだけでは食えないので、日本食レストランでウェイターのバイトをした。その店を通して米国の永住権を申請しました。取得に4年かかりました」

 永住権取得が一つの節目と感じた吉沢さん。自分にとって原点だった寿司職人を再び目指す決意をする。応援してくれた親に対して、けじめをつけたいという気持ちもあった。

 「当時はもう36歳くらい。それでゼロに近いスタートだったけれど、ニューヨークだから、できたと思うんです」

「自分たちが倒れたら、おしまいだと思いました」

 何軒かのニューヨークの寿司レストランで、改めて寿司職人としての修行を積んだ。

 「職人の仕事は見て盗めとよく言われていたけれど、何軒か回ってそれぞれの良いところを学びながら、経験を積んでいきたいと思っていたんです」

 そして知り合いの出資と自らのローンで、66丁目のイーストサイドに「ZAWA」を開けたのは2018年8月だった。

 8人ほど座れる白木のカウンターでは吉沢さんがにぎる寿司のおまかせコースのみにして、テーブル席では天ぷら、焼き物など普通のメニューも注文できる。おまかせは、10貫で75ドルと15貫で105ドルの2コース。いずれも最後に手巻きがつく。ここ数年、ニューヨークで雨後の筍のように増えた高級寿司屋のおまかせ価格に比べて、かなりリーズナブルだ。

 店の周辺は病院などが多く、商業地帯ではない。観光客が立ち寄るような場所ではないが、お手頃価格の本格的な寿司で、固定客をつかんだ。

 「お客さんの8割方は、白人の方。年配の方も多いけれど、30代から50代の年齢層が中心でした」

 経営も流れにのってきた今年の3月、COVID‐19のパンデミックでレストランの営業はテイクアウトと配達のみとなった。

 もっともアメリカでは寿司屋も含め、どのレストランでも普段からイートイン(店内サービス)とテイクアウト/配達の両方、提供している。お客が食べきれなかった料理は、頼めば持ち帰り用に包んでくれるのも、日本とは違う習慣だ。だから元々どの店でも、テイクアウト用の容器などの準備はあった。

 とはいえ、前菜やお酒なども注文する普通のお客に比べ、テイクアウトだけで果たしてやっていけるのか。

 「3月16日からテイクアウトのみで1週間やってみたけれど、一旦店を閉めようと思ったんです」

 それは採算が合わない、という理由よりも感染に対する恐怖心からだったという。

 「自分たちが倒れたらおしまいだ、と。身を守ろう、というのが一番の理由でした」

 当時のニューヨーク市は、日々何千人もの新たな感染者が報告されていた。明日は我が身かと差し迫ってくる恐怖は、筆者自身身にも覚えがある。

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