日本、中国、欧米の知識の結晶が李登輝の内部には蓄積されていた
本稿で述べてきたように、李登輝が戦前の日本統治時代の最終期に育った純粋培養の日本精神を有する台湾エリートであり、幼少期から青年期にかけて、台湾語の感性、日本語の表現力を身に付けていた。同時に中華文化の教養もあり、戦後の国民党政権に重用された農業経済テクノクラートとして外省人中心の厳しい台湾政治の中で巧みな処世術も発揮した。そうかと思えば、米国留学を経験して、キリスト教への深い信仰も有していた。単一的な文化に生きる日本人はとうてい理解が及ばない日本、中国、欧米の知識の結晶が、李登輝の内部には蓄積されていたのである。
それらが李登輝の内部でどのように発酵し、血肉になっていたのかを理解することは、日本人どころか、台湾人ですら難しいはずで、ましてや李登輝の日本性を汚れたものとして道徳的に拒否したくなる抗日歴史観の中国人に永遠に無理ではないだろうか。
そのため、李登輝については誰もが注目したい点に強調を置く傾向があり、異なる価値観や立場の人からすれば、一つの李登輝論に対して「偏っている」と文句の一つもついつい言いたくもなるのだが、「偏っている」と指摘する人も別に李登輝の全体像を描けるわけではない。かくいう私も同様で、断言できるのは、このような人物は2度と現れないだろう、ということだけだ。だから李登輝論はあくまで万華鏡のようなものとして、どれも楽しみにながら読むことに限ると、私は思っている。
我々台湾を研究する人間が、李登輝という政治家が存在した意義と人物の全体像について向き合う知的作業は、むしろこれから本当の意味で始まるかもしれない。しかし、いまはご冥福を祈りながら、私たち日本人にとっても身近で親しみのある台湾の民主と自由と豊かさを、その一生をかけて、ありとあらゆる手段を用いて粘り強く守り抜いた巨大な功績に対し、深く頭を垂れることにとどめておきたい。
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