2022年12月7日(水)

経済の常識 VS 政策の非常識

2020年9月10日

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 新型コロナウイルスへの対策を検討する「専門家会議」を政府が突如として廃止し、「分科会」へと変更した。この突然の決定もさることながら、政府の専門家会議のメンバーは、当初、感染症の専門家ばかりだった。

(出所)内閣府の景気動向指数CI一致指数を基にウェッジ作成
(イラストレーション=藤田 翔 Sho Fujita)

 当時は、感染症の経済的、社会的影響を考えていなかったので当然だったのだろうが、外出自粛を呼びかければ当然経済的、社会的影響がある。しかも、それは数十兆円にも及ぶものだと分かったのだから、委員や対策の在り方も変えなければならない。

 政府の人材選定経緯が分からないのは、コロナ対策だけではない。国民の税金を使って国の大事な事業を担う人材の選定に〝オーディション〟がない日本の不思議さを考えてみたい。

 オーディションは、舞台の役者を決めることから始まった。ブロードウェイミュージカルに、オーディションの模様を描いた「コーラスライン」という傑作もある。必要な人材を広い範囲から集め、公平な選抜で優れた舞台を作るためのものだ。もちろん、きれいごとだけでなく、実際には、コネも名声も影響するのだろう。しかし、一応は公平に選ぶという形を作れば、それほど外れたことはできなくなる。

 日本でも、次第にオーディションが一般化してきた。ただし、日本では、監督やプロデューサーより芸能プロダクションの意向が強い場合もあるようだ。それでもオーディションは広がっている。最良の作品を作るうえで有効とみなされているからだ。

 オーディションのもたらす明白な進歩は子役である。昔のテレビや映画では、大人になってから登場するスターと似ても似つかぬ子役が使われていたが、今はそんなことはなく、大人のスターを彷彿(ほうふつ)とさせる子役が選ばれている。この点ではハリウッド並みになっている。これだけを見ても、広く人材を発掘するというオーディションが優れていることは明らかだ。

 政府の人材登用はどうなっているのだろうか。基本的には役人が選んでいる。ただし、新型コロナウイルス対策を検討する「専門家会議」を役人が選定していたのは当然だ。日本で、これまで感染症が大きな問題になったことは少なく、まして、それが経済にとんでもない打撃を与えることなど考えてもみなかった。

 感染症対策は当然、厚生労働省の一部局の官僚の役割で、感染症学会の重鎮で、政府とも付き合いの長い専門家を連れてきた。一つ分からないのは、座長の存在感が薄く、副座長ばかりが登場していたことだ。座長が、PCR検査の拡大に反対しているとされたからかもしれない。

 日本で感染症は深刻な病ではなかったし、2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)も15年のMERS(中東呼吸器症候群)も深刻なことにはならなかった。日本で優れた感染症学者とは、世界保健機関(WHO)に勤務し、途上国の感染症対策で成果を挙げた人だ。懸念されるのは、途上国と先進国では状況が違うし、途上国で深刻だった感染症とコロナは違うということだ。しかし、その時点ではベストの人選だったのだろうと言うしかない。

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