2024年6月19日(水)

日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔

2020年9月29日

私は本当に李登輝のために働くことが好きだった

 私は李登輝の仕事が少しでもやりやすいように、李登輝の言葉がもっと多くの人に届くように、と考えて全力でやってきた。講演時の質問では、複雑でわかりにくい内容の質問が出ることも少なくない。「ささやき女将」と形容してもらえたということは、やや耳が遠くなり始めた李登輝に、聞き取りづらい内容の質問を、簡潔かつ明確に伝達する役割を充分に果たしているように見えたことの証左だからだ。

 私はそんな仕事が大好きだった。李登輝と一緒に仕事をすることが大好きだった。李登輝がどうすれば気持ちよく仕事が出来るかを考えるのが得意だった。李登輝の発言はメディアを通じて大きな影響力となっていく。日台関係をいかに深化させるかは李登輝にとって晩年のライフワークのひとつだったが、そのためにどんな発信をしてもらえばいいか研究することも楽しかった。自分が李登輝のために役立っていることが心底うれしかった。

 早朝や夜遅くにスマートフォンが鳴る。相手が「非通知」だった場合、それは十中八九、李登輝の自宅からだ。秘書あるいは当直のSPが「ラオパンから」と言ってすぐに電話が切り替わる。すると李登輝が「早川さん、あんた、来週の講演のテーマはどう考えてる?」とか「今日もらった報告だけど、もっと詳しい資料はないか」と矢継ぎ早に指示が出る。そんな指示を受けるたび、私はうれしかった。

 数年前、李登輝が少し体調を崩して入院したときのことだ。週末の朝に電話がかかってきて「今から来てくれ」という。急いで着替え、タクシーで向かったが30分ほどの間にSPが「もう自宅は出たか」「今どの辺だ」とせっついてくる。李登輝が「まだか」と言っているに違いないのだ。やっと病院の総統専用フロアに到着すると、李登輝は待ちかねていたように原稿用紙を取り出した。体調を崩したといっても、念のための入院だったため、毎日のようにスケジュールが入っている普段の生活のなかでは書けなかったテーマについて原稿をしたためたのだった。

 「人類と平和」とタイトルが書かれた原稿はもちろん日本語で、鉛筆による手書きだった。内容は「人間とはなにか」を聖書から説き起こすことから始まり、トルストイの『戦争と平和』にも言及し、「平和」を維持するために何が必要かを結論づけているもので、一読してすごい内容だと思った。私がこの原稿を読んでいる姿を、李登輝がニコニコしながら見ているのが横目に入ってくる。原稿が完成するや否や「誰かに読ませたい」と、朝から私が呼び出されたのである。

 数日前、李登輝が電話してきて、いくつかの書籍のコピーを届けるよう指示があった。事務所や李登輝の自宅にない書籍もあったので、台湾大学図書館まで探しに行ったものもあったが、これを書くためだったのかと合点した。

 原稿で、李登輝は「『平和』とは要するに戦争が行われていないという状態にすぎない」と書き、結論では国際社会の安定を考える上で、各国間の抑止やバランス・オブ・パワーを無視することが出来ない以上、国家が自国を守るために武力を持つことを排除することは出来ない、と書いた。ただ、武力を持ちつつも、いかにして戦争に訴えることなく秩序を保つのか、その方法を考えるのが現実的見解だろう、とも書かれていた。

 私は分かった。李登輝は当時、安倍晋三首相が決断した、集団的自衛権の行使容認を受け、それを側面支援するためにこの原稿を書いたのだ。日頃から「軍隊を持つ目的は戦争をするためではない。国際社会でいじめられないために持つのだ」と言っていた李登輝の主張を、文字に落とし込んだのがこの原稿だった。それほどまでに李登輝は日本に期待し、日本を応援することを厭わなかった。

 原稿を読み終わった私に、李登輝は得意そうに解説を始めた。きっと前の晩は奥様も読まされて感想を言わされ、同じように解説を聞かされたに違いない。でも私は、週末に呼び出されるのも、慌てふためいて駆けつけるのも、少しも嫌ではなかった。それほどまでに李登輝という人のために働くのが好きだった。


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