サウジアラビアなどアラブ4カ国とペルシャ湾の小国カタールが1月5日、3年半に及ぶ断交に終止符を打ち、和解に合意した。だが和解とはいえ、内実はカタールの完勝だ。対決を主導したサウジが譲歩せざるを得なかったのは、米国のバイデン新政権に「対話重視」の姿勢を示すとともに、去り行くトランプ大統領に外交成果として“最後の贈り物”をするためだ。
イラン引き離し策が逆に裏目に
和解文書はサウジ北西部ウラーで開催された湾岸協力会議(GCC)首脳会議の場で署名された。サウジを牛耳るムハンマド皇太子は「イランの核開発の脅威に対抗するため」と連帯の必要性を強調し、出席したカタールのタミム首長を歓迎した。式典に先立ち、自ら運転するレクサスで町も案内したという。
だが、ムハンマド皇太子の胸中は複雑だったに違いない。断交までしてカタールに突き付けた要求を何一つ取れなかったからだ。サウジなど4カ国はカタールが中東のイスラム過激派を支援し、イランとの関係を維持していることなどを理由に経済封鎖に踏み切り、その後イスラム原理主義組織ムスリム同胞団への支援停止、イランとの関係断絶、カタールに本拠を置くメディア「アルジャジーラ」の閉鎖など13項目を要求した。4カ国はサウジの他、アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、エジプトである。
カタールのタミム首長は確かにムスリム同胞団を援助し、ペルシャ湾の対岸のイランとも天然ガス資源を共有するなど良好な関係を維持してきた。だが、自国内のイスラム原理主義者の台頭を恐れ、イランの革命輸出の影に脅えるサウジなどにとっては首長の方針は容認できないものだった。特にアルジャジーラがサウジやエジプト政府に批判的な報道を繰り返していたことに、タミム首長が背後で操っているのではないかと反発した。
食料などを外国に全面依存するカタールはサウジやUAEに陸路と空路を完全封鎖されて、たちまち困窮した。だが、ここで手を差し延べたのがイランであり、サウジとの関係が悪化していたトルコのエルドアン大統領だった。イランとトルコはカタールに食料品や日用品を急きょ送りこみ、エルドアン大統領は国土防衛のためとして、軍隊まで派遣した。カタールをイランから引き離そうとしたサウジの思惑は大きく外れ、カタールとイランの関係は逆に強化される結果になった。
1億ドルに執心したトランプ政権
しかも、空域が封鎖されたことが思わぬ副産物を生み出した。カタールはペルシャ湾に飛び出したところに位置しているため、航空機がその領空を出入りするには、サウジやUAE領空を通過せざるを得ない。だが、封鎖によってそれができなくなった。そこでカタールが頼ったのがイランだった。イランの領空を利用して航空機の離発着を可能にしたのだ。
カタールはこの領空使用料として年間1億ドルをイラン払っているとされる。この程度の支出は人口280万人の小国ながら、天然ガスの確認埋蔵量が世界第3位の富裕国にとっては痛くもかゆくもない。米国の経済制裁で収入が激減したイランにとっても、黙って1億ドルが入るのは悪くはない取引だし、何よりも敵対するペルシャ湾岸君主国の1つと関係を強化できるのは大きなプラスだった。
カタールとイランとの関係親密化に焦ったのがイランへの「最大の圧力作戦」を続けるトランプ政権だ。カタールのイラン接近によって、対イラン包囲網の一角が崩れる上、たとえ1億ドルであっても制裁の効果が薄れることを恐れたからだ。米国はカタールにペルシャ湾最大の空軍基地「アルウベイド」を維持しており、カタールは軍事的には極めて重要だ。このため、湾岸の米同盟国同士の不和の解消と、対イラン包囲網の修復に乗り出した。
中心になったのは、サウジのムハンマド皇太子と近いトランプ大統領の娘婿クシュナー上級顧問だった。同氏はサウジとカタールに対する和解工作に傾注、昨年9月ごろから働き掛けを強め、12月初めには、サウジとカタールを相次いで訪問。和解に向けたレールを敷いた。