主流派(新古典派)経済学はあたかも「社会=市場」であるかのように仮定し、もっぱら市場均衡のメカニズムを分析する。対照的に、宇沢は市場経済を支える「土台」に光を当てた。市場システムが「ゆたかな社会」を実現するためには社会的共通資本という非市場領域の安定が不可欠である(「社会=市場+非市場」)ことを理論として提示したのである。
宇沢経済学は、一人ひとりが市民の基本的権利を享受できることが市場経済の大前提であることを強調して止まない。社会的共通資本を市場原理に委ねてならないのはそのためだ。もう一つの特質は、人間と自然の関係をも射程に入れていることだ。〈後期宇沢〉は必然的に、かつて自らも貢献した主流派経済学を激しく批判せざるをえなくなった。
なぜ現在の危機を見透かした
経済学を構築できたのか
ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツは宇沢の教え子で、宇沢をとても尊敬している。彼にインタビューした際、興味深い証言をした。フリードマンらが台頭し、経済学界を市場原理主義が席巻するようになった70年代半ばからリーマン・ショックまでを「Bad Period(悪い時代)」と呼んだうえで、スティグリッツは宇沢についてこんな解説をした。
「この時期、経済学界ではヒロ(宇沢の愛称)が常に強い関心を寄せていた〝不平等〟や〝不均衡〟や〝市場の外部性〟の問題はあまり注目されることがありませんでした。経済学の主流派はみんな〝市場万能論〟に染まってましたから。ヒロが成し遂げた功績にふさわしい注目を集めなかった理由は、意外に単純です。つまり、『危機など決して起こるはずがない』と信じ込んでいる楽観的な経済学者たちの輪の中に、ヒロが決して入ろうとしなかったからなのですよ」
なぜ予言者のごとく、現在の危機を見透かしたかのような経済学を構築しえたのか。スティグリッツはその謎を解くヒントを与えている。
社会に深く市場原理が浸透したことで噴き出した問題がことごとく宇沢経済学のターゲットとなっているのは偶然ではない。自由放任を旨とする市場原理主義が招いた格差社会、「大気」を社会的共通資本として扱わないがゆえに深刻化した地球温暖化、「医療」を社会的共通資本として扱ってこなかったがゆえにコロナ危機は医療危機に直結してしまっている。
新型コロナの危機に見舞われて初めて、われわれは「前期」でも「後期」でもない、宇沢弘文の全貌をとらえることができるようになった。社会的共通資本の経済学は危機の時代にこそ、光を放つ。私にはその光が、歩むべき道を照らしているように見える(文中敬称略)。
■資本主義の転機 日本と世界は変えられる
Part 1 従業員と家族、地域を守れ 公益資本主義で会社法を再建
Part 2 従業員、役員、再投資を優先 新しい会計でヒトを動機付ける
Part 3 100年かかって、時代が〝論語と算盤〟に追いついてきた!
Part 4 「資本主義の危機」を見抜いた宇沢弘文の慧眼
Part 5 現場力を取り戻し日本型銀行モデルを世界に示せ
Part 6/1 三谷産業 儲かるビジネスではなく良いビジネスは何かを追求する
Part 6/2 ダイニチ工業 離職率1.1% 安定雇用で地域経済を支える
Part 6/3 井上百貨店 目指すは地元企業との〝共存共栄〟「商品開発」に込める想い
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