野嶋剛が読み解くアジア最新事情

2021年3月30日

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野嶋 剛 (のじま・つよし)

ジャーナリスト

1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)、『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)、『謎の名画・清明上河図』(勉誠出版)、『銀輪の巨人ジャイアント』(東洋経済新報社)、『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)、『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)。訳書に『チャイニーズ・ライフ』(明石書店)。最新刊は『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』(小学館)。公式HPは https://nojimatsuyoshi.com

日本人が目をつけた台湾のパイナップル

 パイナップルはトマトなどと同様に南米原産で、外形が松かさ(pine)に似て、味はリンゴ(apple)を思わせたので、パイナップル(pineapple)と呼ばれるようになった。甘さと酸っぱさを兼ね備え、果肉も大きく、栄養価も高いことから、あっという間に世界の食卓に広がった。だが、収穫後は長持ちしないので、輸送技術の発達前は缶詰が主流だった。缶詰パイナップルの栽培地として、最初に台湾の可能性に目をつけたのが日本人だった。

 日本が台湾の統治を始めた19世紀末、台湾でどのような果物が作れるか研究を始めた。そこで目をつけた農作物は、サトウキビとパイナップルだった。サトウキビは砂糖生産のため。パイナップルは缶詰にして世界に輸出するため。台湾初の缶詰工場は1902年に高雄の鳳山に完成した。生産量はどんどん拡大し、輸出先も日本だけでなく世界各地に広がった。

 台湾のパイナップルは、砂糖、コメにつぐ輸出品に成長。パイナップルの缶詰工場は1933年に台湾総督府の統制方針で一社に統廃合されたあとも、生産の担い手が台湾人農家であることは変わらなかった。台湾の気候に非常に適したパイナップル生産は、今日のフルーツ王国台湾の出発点でもあり、台湾社会の思い入れも強い。

 台湾フルーツは、バナナに代表されるように、中南米産や東南アジア産に価格競争で敗れ、戦後の日本市場からいったん退場した。だが、最近はコロナによる在宅での食事が増えて、以前よりも食費にお金をかける傾向が高まっている。多少値段が高くても、日本の消費者は美味しい方を選ぶようになったので、台湾パイナップルにも期待が持てる。

 日本で台湾のフルーツといえばまずはマンゴやライチ、ザボンなどが有名になった。最近はナツメや釈迦頭(バンレイシ)、蓮霧(レンブ)もときどき見かける。台湾フルーツの品種は多く、日本人好みの味である。日本での消費拡大のきっかけとして、パイナップル禁輸が「災い転じて福」となるかどうかは、今後の台湾側の自助努力にも左右されそうだ。

  
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