日本人が目をつけた台湾のパイナップル
パイナップルはトマトなどと同様に南米原産で、外形が松かさ(pine)に似て、味はリンゴ(apple)を思わせたので、パイナップル(pineapple)と呼ばれるようになった。甘さと酸っぱさを兼ね備え、果肉も大きく、栄養価も高いことから、あっという間に世界の食卓に広がった。だが、収穫後は長持ちしないので、輸送技術の発達前は缶詰が主流だった。缶詰パイナップルの栽培地として、最初に台湾の可能性に目をつけたのが日本人だった。
日本が台湾の統治を始めた19世紀末、台湾でどのような果物が作れるか研究を始めた。そこで目をつけた農作物は、サトウキビとパイナップルだった。サトウキビは砂糖生産のため。パイナップルは缶詰にして世界に輸出するため。台湾初の缶詰工場は1902年に高雄の鳳山に完成した。生産量はどんどん拡大し、輸出先も日本だけでなく世界各地に広がった。
台湾のパイナップルは、砂糖、コメにつぐ輸出品に成長。パイナップルの缶詰工場は1933年に台湾総督府の統制方針で一社に統廃合されたあとも、生産の担い手が台湾人農家であることは変わらなかった。台湾の気候に非常に適したパイナップル生産は、今日のフルーツ王国台湾の出発点でもあり、台湾社会の思い入れも強い。
台湾フルーツは、バナナに代表されるように、中南米産や東南アジア産に価格競争で敗れ、戦後の日本市場からいったん退場した。だが、最近はコロナによる在宅での食事が増えて、以前よりも食費にお金をかける傾向が高まっている。多少値段が高くても、日本の消費者は美味しい方を選ぶようになったので、台湾パイナップルにも期待が持てる。
日本で台湾のフルーツといえばまずはマンゴやライチ、ザボンなどが有名になった。最近はナツメや釈迦頭(バンレイシ)、蓮霧(レンブ)もときどき見かける。台湾フルーツの品種は多く、日本人好みの味である。日本での消費拡大のきっかけとして、パイナップル禁輸が「災い転じて福」となるかどうかは、今後の台湾側の自助努力にも左右されそうだ。
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。