2024年12月22日(日)

Wedge REPORT

2021年7月26日

強硬派のライシ師が勝利を収めたイラン大統領選。同師に次ぐ「第2位」は過去最大の無効票だった (BLOOMBERG/GETTYIMAGES)

「米国は大統領選挙後も結果が判明しなかったが、イランは投票前から判明している!」

 イラン人にこの手のジョークを作らせたら世界一だろう。今年6月のイラン大統領選は「大方の予想通り」、強硬派のライシ師(60歳)の圧勝となった。

 過去四半世紀のトレンドを見ると、改革を求める国民の渇望によって1997年に誕生したハタミ大統領(改革派)以降、イランの政権は、人々の現状打破への期待とそれが裏切られたことへの失望のサイクルを背景に、改革派・穏健派と強硬派の間をスイングしており、2期8年間続いたロウハニ政権(穏健派)から、振り子は予定通り強硬派へと振れた。しかし、これほどまでにしらけたムード、人々の熱気を感じられなかった選挙はなかっただろう。

柔軟な外交は厳しく

 これまで徹底して司法畑を歩んできたライシ師。政治の表舞台に立ったことがなく、外交安保政策は未知数である。しかし、オバマ政権の業績にことごとく逆行しようとしたトランプ前大統領のように、方針を180度転換するようなことはないだろう。イランの安全保障の根幹に関わる最重要事項を扱うのは、大統領が議長を務め、三権の長、最高指導者の名代などからなる「国家安全保障最高評議会」であり、三権の長の上に君臨するハメネイ最高指導者のお墨付きを得て決定されている。

 国内経済の立て直しや対米関係の舵取りの鍵である核合意の再生と制裁解除についても、同師は「制裁の解除を追求するが、国内の経済問題を核交渉と結びつけることはしない。イランの潜在能力を活用することが重要」と、ハメネイ師のラインを忠実に踏襲する〝優等生〟的な発言を繰り返している。

 しかし、国際協調路線を推進してきたロウハニ大統領やザリフ外相(核交渉担当)が退場し、強硬派の牙城である「司法府」、昨年2月の国会選挙で強硬派が大勝した「立法府」に続き、最後の一角であった「行政府」を手中に収め、〝一枚岩〟となった体制が、西側諸国、とりわけ米国との関係で、より柔軟な動きがとれる余地は狭まったと見るのが自然であろう。

 新大統領として喫緊の課題は、疲弊した経済の立て直しであることは誰の目にも明らかである。米国主導の制裁は確実に効いている。筆者が初めてイランに着任した2000年当時、制裁の効果を認めたがらなかったイランも、今やその影響で国民生活が逼迫していることを公言し、トランプ政権の「最大限の圧力」政策とコロナ禍のダブルパンチを浴びると、「経済戦争」「医療テロ」「人道に対する罪」だと米国を声高に非難する方向に舵を切った。

 20年3月には、国際通貨基金(IMF)に対し革命後初めて緊急融資(新型コロナウイルス対策のための50億ドル)を要請。今年4月以降、核合意から一方的に離脱した米国を非難しつつも、その再生を通じた制裁解除を目指して交渉のテーブルについたのにもそうした背景がある。

 現地通貨も暴落している。筆者がイランに再赴任した当時(19年10月15日)、1ドルは約11万5000リアルだったが、ちょうど1年後には約32万2000リアルと約3分の1まで下落した。輸入品の価格は高騰し、比較的自給率が高いとされる穀物や肉類なども、肥料や飼料は輸入に頼るものも多く、国内価格に転嫁され、物価は上昇している。

 ライシ師は選挙キャンペーン中、「国民の食卓が小さくなっている!」「過去8年間で、食料品の値段は4倍、肉は5倍、自動車は7倍、住居は8倍になった」とロウハニ政権の無能さを手厳しく攻撃した。しかし、大統領選中のテレビ討論でも、ライシ師は、現政権の政策に対する非難に終始し、その処方箋は全く示せていない。ライシ師が唱える自国の潜在能力の活用、汚職追放、国内のマネジメントの改革は、使い古された常套句であり、ハメネイ師の「抵抗経済」路線を忠実になぞるものである。

 ライシ師は、幼少期に父を亡くし貧困の中にあったと自らを「苦労人」「弱者の味方」と位置づけ、過去2年間に司法府代表としては異例の全国行脚・地方視察を行っている。これは、「鍛冶屋の息子」アフマディネジャド前大統領(05~13年)のようなポピュリスト政策を目指す動きにも見える。

 しかし、油価が1バレル100ドルを超え、制裁下でも一定の石油輸出が可能であった当時と同じような地方や貧困層へのバラマキ政策を行えるような財源はない。国民の不満を直接受けて立つ「表の顔」となる大統領として、サンドバッグ状態となる可能性もあるだろう。


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