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WEDGE REPORT

2021年7月28日

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井上哲也 (いのうえ・てつや)

野村総合研究所金融デジタルビジネスリサーチ部・主席研究員

1985年東京大学経済学部卒、日銀に入行。米イェール大に留学、92年経済学修士取得。日銀復帰後、邦銀の国際業務のモニタリング、福井俊彦副総裁(当時)秘書、植田和男審議委員(当時)スタッフ、金融市場局参事役(国際金融為替市場)などを務める。2008年より現職。近著に『デジタル円』(日本経済新聞出版社)。

 

デジタル人民元が
警戒される理由

 一方デジタル人民元は、同じく7月に中国人民銀行が公表した取り組み方針によれば、中国内の主要都市で10万人単位の一般市民の参加の下、実店舗に加えネットショッピングでの支払いも含む高度な実験を展開しており、来年の北京冬季五輪会場で海外からの来訪者も含む広範な使用が実現すると方針が示されている。

 中国がCBDCの導入に先行したことは、デジタル通貨の開発や運営に関する技術とそれを活用した金融サービスの双方の面で、中国に大きな国際競争力をもたらす。この点だけでも、ITや金融サービスが主力産業である米欧諸国には十分に脅威である。

 ただし、デジタル人民元の導入が人民元通貨の国際化を直ちに実現するわけではない。中国中心のサプライチェーンの拡大に伴って、中国と海外との支払・決済手段としての利用が浸透する可能性はあるが、国際通貨に不可欠な資本取引における利用は、地方政府や不動産開発企業による過剰債務に代表される中国国内の金融システム問題などのために、当面は自由化される可能性は低い。なぜなら、上記の問題の展開如何では、大規模な資本流出を招くリスクが残るからである。

 それでも米欧の中央銀行が警戒するのは、自らのCBDC導入には数年単位の時間を要し、その間に、中国国内の金融システムの安定化や、中国の世界経済における相対的なウエイトの上昇など、デジタル人民元が資本取引に利用される環境が整う可能性があるためであろう。

 実際、上記の取り組み方針で、中国人民銀行は、デジタル人民元のクロスボーダーでの利用は既に技術的に可能であり、将来的にそうした方向をとることを示唆した。

 米欧の場合には、自国内の支払・決済で人民元が大規模に使用される可能性は低いとしても、アジアやアフリカではそれが実現する可能性があるだけに、米ドルやユーロの国際通貨としての相対的な地位は低下しうる。

 その結果、金融政策のグローバルな波及効果に影響が生ずるだけでなく、金融機関や企業が海外市場で自国通貨を使用したビジネスを展開する優位性を失い、人民元建て取引に係る新たなリスクを担う恐れがある。それだけに、米欧の中央銀行には、米ドルやユーロの国際通貨としての地位を防衛する観点からも、自らCBDCを発行することに一定の合理性がある。

 こうした背景を踏まえると、CBDCにかねて消極的であった米国が議論を加速させていることも容易に理解できる。米国におけるステーブルコインの発行が最も顕著であるほか、ITや金融サービスは米国の産業競争力の柱であり、米ドルは最強の国際通貨だからである。米国が問題を放置した場合に失うものは非常に大きい。

 その上でFRBの立場に立てば、国内ではステーブルコインの発行体に銀行並みの厳しい規制と監督を要求して利用拡大を抑制する一方、海外では国際決済銀行(BIS)での共同研究やG7などでの議論を通じてCBDCに関する国際標準に影響力を行使することで、デジタル人民元の国際利用を牽制しつつ時間を稼ぎ、その間にCBDCの開発や導入を進めることが有効な選択肢となる。この点は中国人民銀行も国際標準への関与に注力する方針を示しただけに一段と重要になっている。

 他方、欧州にとっては2つの背景とも米国と中国からの「外圧」である点に注意する必要がある。実際、ECBが昨年10月に公表したCBDCへの取り組み方針には、既存のキャッシュレス支払いの主力手段であるクレジットカードの二大運営企業がともに米国にあり、収益やデータが米国に流失してきたとの認識に基づき、デジタル通貨ではそうした事態の再現を阻止したいとの意識が窺われる。

 しかも欧州連合(EU)は、地球温暖化への対応とともに金融経済のデジタル化を成長戦略の柱に据え、ECBのラガルド総裁は国際通貨基金(IMF)専務理事の在職時からCBDCに強い関心を向けてきた。

 フランス銀行(中央銀行)のビルロワドガロー総裁が6月末の講演で示唆したように、ECBが7月に公表したCBDCの取り組み方針には、これまで9カ月で実施した技術検証をもとに今後2年で制度設計を進め、その後3年で実用的実験を行うといったスケジュールに加えて、ECBが進めてきた支払・決済システムの改革との連動を重視するなど、より実践的な内容が含まれている。

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