2022年7月7日(木)

家庭医の日常

2021年8月27日

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葛西龍樹 (かっさい・りゅうき)

福島県立医科大学 医学部 地域・家庭医療学講座主任教授

1984年北海道大学医学部卒業。北海道家庭医療学センター設立および所長を経て、2006年から現職。英国家庭医学会 最高名誉正会員・専門医(FRCGP)。日本プライマリ・ケア連合学会監事。著書に『医療大転換 ─日本のプライマリ・ケア革命』(ちくま新書)など多数。

 ひとしきり、K.W.さんの愚痴を傾聴する。こうしたいわゆる「世間話」を時間の無駄として重視しない医師も少なくないが、その人の生活の中から病気や健康問題を考える家庭医にとっては重要な情報で、私は大切にしている。

 K.W.さんの気持ちがある程度収まった頃合いをみて、今日の診察で何を優先するかについて次のような会話で患者と医師の合意形成(「アジェンダの擦り合わせ」と呼ぶ)をしてから、いよいよ診察のメインの部分へ移る。

「前回の診察の最後にK.W.さんが前立腺癌の検診について知りたがっていたので、K.W.さんには関連するホームページを見てきてもらって、検診をどうするかについて今日は一緒に相談することにしていたと思いますが、それでよかったですか。他にK.W.さんの方で何か話したいことはありますか」

「ああ、そうです。それで大丈夫です」

「それで、K.W.さんは前立腺がんの検診についてどんなことが分りましたか」

「えーっと、なかなか難しかったです。かいつまんで言うと・・・」

 私は、机上のパソコンで「がん情報サービス」のサイトを開いて、それも見てもらいながら、K.W.さんが前立腺がんとその検診についてどのように理解しているかを確認していく。

 病気や健康に関する問題に対峙した時、人はそれについて自分が理解していることを基盤にして、そこから何をどうしたいか希望するし、起こりうることを恐れたりする。だから、その人の理解の基盤となっていること(患者の「解釈」と呼ぶ)を家庭医は理解しようとする。それが患者と一緒に問題を解決する際の大事な出発点となる。

厄介な前立腺がん検診の〝不確実性〟

 日本では、2018年には9万2021例の前立腺がんが診断されており、男性のがんでは最多である。僅差で胃がん、大腸がん、肺がんが続く。男性が生涯で前立腺がんに罹患する確率は10.8%、9人に1人である。死亡については、19年には1万2544人が前立腺がんで亡くなっている。これは男性のがん死亡の中で肺がん、胃がん、大腸がん、膵臓がん、肝臓がんに次ぐ多さとなる。

 前立腺がんの多くは進行が遅く、一生何も症状を出さず寿命に影響しないことも少なくない。だが進行が早く命を奪うものがある。初期段階で進行が早くなるか遅いのかの区別はまだ難しい。だから、無症状の人に検診で早期発見するべきか否かをめぐっては、議論のあるところだ。進行が遅い場合、早期に発見すればするほど「がんをもって生きる」時間が長くなり、心理的な負担も大きい。

 検診は、前立腺で作られるタンパク質であるPSA(Prostate-Specific Antigen前立腺特異抗原の略)を血液検査で測定する。スクリーニングで異常があった場合には、医療機関を受診して、超音波の機器を肛門から挿入して近接する前立腺を診る経直腸エコー、そして細い針で前立腺を刺して組織を採取する生検、場合によってはCT、MRI、骨シンチグラフィなどの画像診断で疾患の広がりを確認する。

 厄介なのは、この過程で多くの〝不確実性〟があることだ。PSAの検査値をどこから異常とするか。数字だけで割り切れないグレーゾーンがある。そもそもPSAが上昇するのは前立腺がんだけではない。前立腺炎、前立腺肥大症などの非悪性疾患、尿閉、射精、尿路系の検査後、さらに自転車に乗ってサドルが股間に振動を与えても上昇することがある。

 経直腸エコーと針生検は苦痛を伴うし、出血、感染、尿路閉塞などのリスクもある。画像診断では造影剤の副作用もある。

ネット上に溢れる情報は鵜吞みにしない

 日本では、自分や家族の病気や健康問題についてインターネットを使って情報を探そうとすると、途方に暮れることが多いだろう。あるキーワード(例えば「PSA検査」)を入れて検索すると、上位にヒットするサイトには製薬会社や個々の医療機関が運営するサイトが並ぶ。それらのサイトがどれくらい最新・最良の科学的根拠(エビデンス)に基づいて、利用者のために公平な情報を提供しているかは、残念ながら保証がない。

 そのサイトを運営している会社の製品の購買や病院・診療所の利用へ誘導する意図が隠されていることに注意しなければならない。特に、保健医療分野にいない一般の人にとっては、どのサイトももっともなことを書いているように思えるし、それらを無批判に信じてしまいがちだ。

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