2022年7月2日(土)

Wedge REPORT

2021年9月18日

»著者プロフィール
著者
閉じる

渡辺 努 (わたなべ・つとむ)

東京大学大学院経済学研究科教授

1959年生まれ。82年東京大学経済学部卒業、日本銀行入行。92年ハーバード大学経済学博士。一橋大学経済研究所教授などを経て、2011年東京大学大学院経済学研究科教授。19年経済学部長。21年4月から現職。15年に経済統計をリアルタイムで提供するベンチャー企業「ナウキャスト」を設立。

──価格が安いこと自体は消費者にとってはいいことのように感じる。長期的に見てどういった点が問題なのか。

渡辺 もちろん価格転嫁にも、顧客満足度を高める企業努力は必要だ。だが本来、企業の製品開発において「真に消費者にとって有用なものであれば、少しくらい高くても買ってくれるだろう」という認識を持つのが理想のはずだ。それによって前を向いた経営ができ、新しい発想で新商品が開発されるなど、ダイナミックな思考を持つことができる。

 ところが価格というゴールが先に設定されてしまっている。経営者もコストを逆算してどうにか利益を出そうと考えるため、これではどうしたって画期的なアイデアは浮かばない。日本全体が後ろ向きの経営になってしまう。これが長期的なリスクである。これは先に述べた100円ショップの例に限らず、その他多くの産業にいえることだ。

 日本のメーカーの担当者と話していると必ず出てくる話がある。ある日本企業が米国、中国、日本で同じ製品を売ろうとする。原材料の高騰などが発生した場合、日本は値上げできない。米国や中国では、消費者に対し「こういう理由だから値上げを行う」と説明すればそれで値上げできる。物価と共に賃金も上がっているから、フェアプライシングの考え方が人々に根付いている。

(出所)各国の対象者に「1年後の物価は現在と比べてどうなると思いますか」と尋ねたアンケートより筆者作成 写真を拡大

 こうした状況では、日本企業の研究者や開発担当者は、一生懸命さまざまな努力をしても開発のインセンティブばかり削られていく。新たなものを作ろうとする活力がわかなくなる。そうしているうちに他国は次々に新たに開発した製品を世に出して世界をリードしていく。日本だけが置いていかれる。これが最大の問題なのである。

──今、日本以外の先進国は新型コロナウイルスからの経済回復が進み、素材価格も上昇している。

渡辺 一つの正念場ではある。新型コロナの影響による世界的な原料価格の上昇局面で、多くの日本企業がその分を価格に転嫁できれば、現状を是正できるかもしれない。

 だがその可能性を楽観視はできない。かつても、原材料費の高騰を理由に、新年度が始まる4月を中心にメーカーの値上げは行われてきた。ところが、実際に販売されているスーパーマーケットに行ってみると、その商品が特売で出され、これまで見てきた価格と変わらない。

 メーカーがいくら意思表示をしたところで、小売りの段階ではそれが反映されない。なぜなら、日本は流通の川下の企業が〝消費者の声〟を盾にして交渉力を強く持ち、「この価格では売れない」と拒むからだ。そのため、結局途中で挫折するケースばかりだ。こうした構造的な課題がある以上、今回も恒常的な値上げにまでは至らないのではないか。

──物価上昇、賃上げの双方の好循環を促すために、何が課題なのか。

渡辺 この議論をすると「人口減少、少子高齢化が問題」「生産性が低いのが問題」「構造改革が不十分」といった声が上がる。共通するのは「根の深い複雑な問題」という認識だ。

 しかし、この物価や賃金を上げようというのは、それらとは別の話であり、「気持ちの持ちよう次第」なのである。消費者、特に若い人たちには、「あなたの賃金は上がるのですよ」と伝える。それによって、商品の値段の多少の値上げは甘受しようという雰囲気を醸成する。

 一方、経営者には、「価格をもっと上げてもいいのですよ」と伝える。そして、従業員に賃上げで報いようという気分を醸成する。これで解決できる。「少しの努力で前に踏み出せば解決に近づく」という認識をまず持ってほしい。もちろん解決のためには旗振り役が必要だ。国がその役割を果たすべきだと思う。

 特に、他の先進国と比較して日本の物価だけ上がっていないという異常性や、賃金を上げることでどのような利点が生まれるかを伝えていくだけでも大きい。

関連記事

新着記事

»もっと見る