主張が対立する中で見逃せないのは、当事者である再エネ事業者の反応が〝冷ややか〟なことだ。再エネ割合の大幅な増加を歓迎する声が上がる一方で、ある事業者からは「再エネ事業者の全てがTFと同じ考え方で事業を営んでいると思われたくない。それに、これまでエネルギー政策を主管してきたのはエネ庁なので、今後も必要な要望は内閣府ではなくエネ庁に上げ、対話していきたい」との声も漏れる。
国内大手再エネ企業の企画担当者は、「分科会の議論は、今後の再エネの役割や導入拡大への課題など、事業者のみならず社会全体にとって多くの示唆があった。他方で、事業者の取り組みの本質は変わらない。将来の不確実性を前提に、適切なリスク判断の下で最善を尽くすのみだ」と粛々と話す。
日本エネルギー経済研究所の小笠原潤一研究理事は「電源全般に言えることだが、再エネ設備も建設して終わりではない。新設だけではなく、メンテナンスやリプレースを含め、将来のことも考えた長期的な戦略をセットで示すことが必要だ」と解説する。
環境省地球環境局総務課脱炭素社会移行推進室の坂口芳輝室長は30年目標について、「政治的な決断で出てきた数字。精緻に積み上げた数値ではなく、われわれは根拠を持っていなかった」と政治主導だったとする。
「野心的」な50年目標や30年目標を政治的に決定した中で、現実的な素案を策定することは容易ではない。そのため、分科会における意見の対立は必ずしも悪いことではない。あらゆる選択肢を議論の俎上に載せ、活発な議論を経て決定すること自体、健全な政策決定の手法でもある。
バイデン政権の誕生以降、先進諸国が続々とカーボンニュートラルの目標を表明したことで、日本も歩調を合わせる必要性があった事情は理解できる。
とはいえ、国民の日常生活や産業の発展に欠かせないエネルギー政策だからこそ、目標を「野心的」にしたことで、将来、そのツケが国民に回ることはあってはならない。また、「目標」の位置付けを国民が正しく認識できるよう、丁寧な説明を果たすことも政治の役割だ。
欧米が掲げる「目標」と日本が掲げる「目標」について、「この違いを日本人が理解することは難しい」と語るのは国連大学で副学長を務めた安井至東京大学名誉教授だ。
「目標」の英訳には〝Goal〟と〝Target〟の2パターンがあり、前者はマラソンで言えば何位であってもゴールまでたどり着くことを意味する一方、後者は「3位以内」や「2時間10分以内」のように設定した目標の達成を意味するという。欧米では、前者の〝Goal〟の意味で語られることが多い一方で、日本の認識は、後者の〝Target〟と理解されがちだ。
安井名誉教授はこう続ける。「先進国のみに温室効果ガスの削減義務を課され、苦労した1997年の京都議定書での教訓を踏まえて提唱されたのがボトムアップ式アプローチの『パリ協定』だ。京都議定書のように『義務』を負わない自主的な『努力目標』として採用されたパリ協定の概念を、皮肉にも提唱した日本人自身が理解できていないのではないか」。
こうした課題を一つずつクリアし、日本の将来に一層の責任を持ったエネルギー政策の立案と実行が求められており、それこそが「野心的」な目標を掲げた政治家や国の責任とも言える。