日本人のマネーリテラシー
私は、日本人の「ユニークさ」の一つとして、所得を得る、もっと直截的な表現で言えばお金を儲けることに対して真正面に向き合わない傾向があると考えている。他国と比較した具体的なデータを持ち合わせている訳ではないが、12年に及ぶアメリカやASEANでの駐在経験からそのような感覚を持つにいたった。職を選ぶに際し、やりがいや適性を重視するのは当然だが、そこに重きが置かれすぎて、その業種の所得カーブの理解が乏しいままで職を選択してしまうことがあるように思う。また、投資や副業による収入の補填やプラスアルファ狙っていく意識も低い。さらに言えば、人生において必要とされるお金の総量、つまりマネープランに対する理解が低いとも思う。このように列挙すると、実は日本人のお金に対するリテラシーが非常に低いように思えてくるのだ。
多くの人が人生のマネープランを学ぶのは、銀行でローンを組む時である。それはオートローンかもしれないし、住宅ローンかもしれない。どのようなローンにせよ、今の年収だといくらの借り入れができて、その結果としてどのくらいの値段の車や家が買えるかを銀行員に教えてもらうのだ。その段になって初めて、自分の消費計画に対する予算制約の重さを認識することになる。住宅ローンは金額も大きく、返済期間も長期になることから、その後の人生がかなりロックオンされてしまう。
既に就職してしまっているので、転職して所得水準が劇的に向上しない限り、家を購入した後の消費生活、例えば外食や旅行の回数、子供に充てられる教育費の水準、それに老後の貯蓄のレベルも逆算的に決まってきてしまうのだ。就職して予算制約が発生した後にマネープランを学ぶ、というのは順番が逆ではないのか? まずマネープランがあって、その実現のために職を得て、さらにそれを補填するために投資を学んだり副業を行う、という順張りの思想が定着していないのはなぜだろうか?
本来やりたいことのマネープラン
「一所懸命」という言葉がある。鎌倉時代に生まれた言葉で、「ひとつのところに命をかける」という意味であるが、これは当時の鎌倉御家人が、幕府から御恩として与えられた新たな領地を守ることを意味する。御恩と奉公。与えられた領地で懸命に頑張り、経済的な果実を得る。つまり予算制約を所与としてそこで頑張るというのは、就職した後にマネープランの現実に直面する姿に似ている。本来やりたいことはあり、そのためのマネープランはあったはずだ。しかし先に所領(職業)を決めてしまい、その予算制約の中でやりたいことの最大値を求めるのは、自分の夢や欲求に対してパッシブ(受動的)にも見える。夢や欲求にもう一歩踏み出せないのは、鎌倉時代に日本人に根付いたDNAが今でも作用しているということか?