2024年7月16日(火)

スポーツ名著から読む現代史

2021年12月26日

 創価大学に進んだ小谷野は、日本ハムの5位指名を受けてプロ入りした。プロではパニック障害に苦しむなど下積みが続き、07年からようやく1軍に定着したが、松坂はすでに日本にいなかった。「マツ(松坂)からヒットを打ちたい」という夢は果たせないまま18年を最後に引退した。

 「松坂世代」の中で、とびきり異色の道を歩んできたのが平石洋介だ。

 実家は大分県杵築市。中学入学時に大阪に「野球留学」し、桑田真澄らを輩出した八尾フレンドで技を磨いた。PL学園では入学早々、左肩などの故障が相次ぎ、野球を断念する瀬戸際まで追い込まれた。

 それでも懸命にリハビリに取り組み2年の新チームでは満場一致で主将に選ばれた。背番号は「13」。PLの歴代主将で2桁の背番号を背負うのは平石が初めてだった。

 同志社大学で野球を続けた平石に自信と勇気を与えたのは、プロでの松坂の活躍だった。

<もしも、大輔が1軍で活躍できていなかったら、プロって一体どんなレベルなんだろうか、と思ったはず。でも、予想通り活躍した。すごいと思ったけど、もしかしたら、頑張れば自分もプロになれるかもしれないと思った」>(同書266頁)

 平石のプロ在籍は東北楽天ゴールデンイーグルスでの7年だけ。だが、31歳で戦力外通告を受けたその席で、球団から育成コーチ就任を打診された。その後、1軍打撃コーチ、2軍監督、1軍ヘッドコーチと階段を駆け上がり、19年には1軍監督に就任した。「松坂世代」の監督第1号だった。

 楽天の監督は1年で終わったが、すぐさまソフトバンクの1軍打撃コーチに招かれた。22年からは埼玉西武の1軍打撃コーチに就任することが決まっている。まさに引っ張りだこだ。

多様性時代に自らの強み見つける指標に

 20世紀末から21世紀にかけての20年余にわたり、プロ野球の中心勢力としてファンの注目を集め続けた「松坂世代」。その主役である松坂が21年限りで現役生活にピリオドを打った。

 日本の野球界は、メジャーリーグへの道が開かれ、世界一を決めるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)も開催されるようになった。その歴史を作ってきたのが松坂世代の選手たちであり、その中心に居続けた松坂だ。彼らの足跡は次世代に受け継がれている。

 現代、人材において「ダイバーシティ」が叫ばれ、多様な力が必要となっている。剛速球やキレのある変化球で三振を奪うエースだけでなく、それぞれが自らが持つ才能を生かし、活躍することが求められている。松坂を意識し、戦い抜いた「松坂世代」たちはそれを見せてくれている。

 その一方で、指導者としての先陣争いはすでに始まっており、平石がトップを走っている。やがて松坂も参戦してくるのだろうか。プロ野球の歴史に一時代を築いた松坂世代。彼らの「続編」を楽しみに見てみたい。

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