思えば、香川選手はPAOKへの移籍前から低迷が続いている。通算で約6年半もの長きに渡って在籍したドルトムントでは数多くの伝説を築き上げた功労者でありながらも、18年のロシアW杯出場後辺りをターニングポイントに出場回数を徐々に減らしていき、最後はほぼ戦力外とみなされ、19年1月に追われるようにしてトルコ1部のベシクタシュへレンタル移籍。
その後、スペイン2部のサラゴサへ2年契約で完全移籍を果たすも、以前から憧れていたリーガ・エスパニョーラでは現地メディアより「1部昇格請負人」と期待されながらチームにフィットできず、かつての「輝き」をここでも取り戻せなかった。チームが1部昇格を果たせず2部リーグ3位に終わり、香川選手は戦犯扱いされ、サラゴサ側との双方合意によって在籍約1年半で契約解除に至っている。
〝世界への橋渡し〟クラブが救世主となるか
Jリーグの古巣・セレッソ大阪から復帰オファーが舞い込んだものの、これを香川選手は固辞。次の移籍先であるPAOKからオファーがかかるまで約4カ月ものブランクが空くハメになった。
しかしながら、それも自分自身が意を決し選んだ末の道だ。海外のクラブで荒波にもまれ、ドルトムントやマンUでプレーした当時のように超一流プレーヤーとしのぎを削ることで、あの絶頂期の感覚を呼び戻し、もう一度「輝き」を放ちたい――。そういう強い思いを胸に秘め、PAOKでも不完全燃焼に終わりながらも辛抱強く待ち、今回何とかSTVVからのオファーをつかんだ。
STVVはギリシャのビッグクラブだが、これまでも日本人サッカー選手を多く抱えてきた経緯がある。かつて所属していたMF遠藤渉選手はブンデスリーガ・VfBシュトゥットガルトへ、DF冨安健洋選手はプレミアリーグの名門アーセナルへそれぞれ移籍した。今も元日本代表のシュミット・ダニエルと橋岡大樹、東京五輪代表の林大地ら6人の選手が在籍しており、その橋渡し役となっているのが日本人の立石敬之CEOである。
日本のIT系大手「DMM.com」がオーナー企業となって出資するSTVVにおいて、かつてJリーグ・FC東京で敏腕GMとしてらつ腕を振るい、今もアビスパ福岡で顧問を兼務する立石CEOの存在は非常に大きく、選手の力量チェックを含めたリサーチとマネジメント能力の高さは欧州サッカー界の間でも一目置かれている。それが証拠に遠藤選手、冨安選手の欧州4大リーグ・人気ブッククラブへの移籍は立石CEOの尽力によるものであることは疑いようがない。
その立石CEOから香川選手は絶大な期待を寄せられ、今回の契約合意に結びついた。立石CEO曰く、ここまで香川選手を獲得しても残念ながら成果につながらなかったクラブについて「昔のイメージを持って獲得するところがあった」と評しつつ、STVVを率いる現場のベルント・ホラーバッハ監督とも話し合いながら「新しい香川真司を作っていこう」との方針で一致したという。