2024年12月18日(水)

未来を拓く貧困対策

2022年2月9日

「点」から「面」へと広がるフードパントリー

 筆者がフードパントリー活動の広がりを知ったのは、19年のことである。当時は、県内4団体が集まるごく小規模のネットワークであった。それが、コロナ禍にもかかわらず、次々と加入団体が増えていった。

 現在は埼玉県内30市町の58団体が加盟する。県内8カ所に中間拠点(倉庫)と物流網が整備され、企業からの寄贈品は大型トラックで各地にあるフードパントリーに配送される。さぞかし多額の公金が投入されていると考える方もいるかもしれない。しかし、いわゆる公的助成金は、冷凍冷蔵庫の寄贈など、ごくわずかなものでしかない。受け入れる品物も、保管する倉庫も、配送するトラックも、配るスタッフも、ほとんどすべてが民間の善意によって賄われている。

 活動をみていくうちに気づいたのは、企業が抱える膨大な「食品ロス」となる品物の数々である。販売シーズンが過ぎて売れ残ったもの、配送時に傷ついて販売できなくなったもの、災害備蓄品のように一定期間で更新されるもの。これに加えて、コロナ禍での飲食店の休業や一斉休校によって、行き場を失った食材が溢れた。しかし、企業側で1人、2人に配るのは非効率すぎてできない。けっきょく高額な処分費用を負担して、処分せざるを得ない事情があった。

 フードパントリー活動が広がり、大量の寄贈品を一括で受け入れる体制が整うことで、企業側も何千人分、あるいは何トンという単位で寄贈できるようになった。近所にフードパントリーができたと聞けば、見学にくる人も増える。笑顔になって帰る親子をみれば、家にある不用品を集めてみてはどうだろうという話もでる。町会、企業、市役所といった単位で食料品を集める「フードドライブ」が行われ、集まった食料品をフードパントリーに橋渡しする役割を市長みずからが担っている(写真)。

戸田市美女木地区の町会が実施したフードドライブの食品寄贈式。町会、パントリー運営者、埼玉トヨペットのほか、同市の菅原文仁市長も参加した。(同市提供)

 一部の先進地といわれる自治体ではなく、どこにでもある身近な風景として、フードパントリーが地域に根を張りつつある。

見えてきた「子どもの貧困」

 取材をしていくと、たびたびフードパントリーの運営者のスタッフからこんな話を聞く。「実は、私もひとり親家庭です」「子供の頃は両親が不仲で苦労しました」。今まではそういう話題は避けていたのですが、と続く。

 坂戸市の埼玉トヨペット・サービスセンターで活動する「坂戸フードパントリーおひさま」の運営責任者である山口真さん(35歳)もその一人である。山口さんは、「貧乏子沢山を絵にかいたような家でした」と話す。

 洋服はすべておさがりで、電気が止まることもあった。給食費が払えないこともあった。教師の配慮で皆と一緒に給食を食べていたが、その時の罪悪感を今も覚えているという。現在は、一般社団法人シンビオージの代表理事として「デイサービスまちいろ」の経営者としての顔も持つ。福祉事業に携わるものとして、利用者から相談があれば対応することもできると自信をのぞかせる。ある人に声をかけられて、自分にできることがあればと手を挙げたのだという。

 貧困は、実は私たちのすぐ隣にある。ただ、貧困状態にある人はそれを言わないし、私たちも気づかない。フードパントリーの活動は、貧困に苦しむのはテレビの向こうの特別な人のことではなく、どこにでもいる、ごく普通の人たちであることを気づかせてくれる。そして、「私もそうだった」という小さなつぶやきを生み出している。その小さなつぶやきが、社会のあちこちで聞かれるようになったことに、筆者は希望を感じるのである。

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