2022年9月30日(金)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2022年4月3日

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冷泉彰彦 (れいぜい・あきひこ)

作家・ジャーナリスト

ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。近著に『「反米」日本の正体』(文春新書)など。メールマガジンJMM、Newsweek日本版公式ブログ連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

 3月27日に行われた米アカデミー賞授賞式では、全世界に生中継されていた中で、俳優のウィル・スミスが壇上でコメディアンのクリス・ロックを殴打した。この騒動が話題になる中で、主催者である映画芸術科学アカデミーは大混乱に陥っている。

ウィル・スミスによるクリス・ロックへの殴打事件は、その背景の複雑さから、アカデミーを大混乱に陥らせている(REX/アフロ)

 ロックの暴言にしても、スミスの暴力にしても米国社会の基準からすれば到底許されないもので、両者に具体的な制裁を科すことが、式典や賞の権威、ひいては映画産業の権威を守る行動としては常識的に思える。特に米国では、子供たちに暴力、暴言に対しては「ノー・トレランス(絶対に容赦しない)」という教育を行なっており、この点では地域差も左右の対立もない。

 アカデミーの混乱は目に余る。散々各局のニュースで取り上げられた後の30日になって、「事件後にスミスに退場を求めたが拒否された」というコメントが出てきた。だが、このコメントについては確証はないという報道も出ている。また、スミスに対して「懲戒の検討」を始めたという発表もあるが、結論には時間がかかるようだ。

 ちなみに、賞の剥奪は、悪質な性犯罪で有罪になったプロデューサーなどの場合でも行われていないことから、難しいとされている。そんな中で、アカデミーが態度を決定する前にスミスは、自身が会員であるアカデミーからの脱退を宣言してしまった。一方で、ロックに対しては現時点では「お咎めなし」となっている。

問題を難しくしている当事者2人の「功績」

 アカデミーが混乱している最大の理由は、両者が大物だということと、有色人種、具体的にはアフリカ系だからだ。アフリカ系だから、処分に腰が引けているとか、逆差別があるということではない。アカデミーが非常に力を入れているマイノリティの地位向上について、スミスもロックも功労者であり、アカデミーとしてはむしろ「借りがある」ぐらいということがある。

 まずスミスだが、ラッパーやDJとして下積み時代を過ごし、TVのコメディ俳優として知名度を獲得した後は、SF大作『インデペンデンス・デイ』(1996年)と『メン・イン・ブラック』(97年)で一気に人気俳優となった。その後は、エンタメ系の作品だけでなくシリアスなドラマにおける役にも進出し、ボクサーのモハメド・アリの半生を描いた伝記映画『ALI アリ』(2001年)と『幸せのちから』(06年)では、アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされている。

 この2回のノミネートについては、本賞受賞が有力視されたにも関わらず、票は集まらなかった。まだまだ白人優位という雰囲気があったからだという説もあるが、真相は分からない。スミスのキャリアに関しては、例えば『コンカッション』(15年)では、脳震盪を研究する医師を演じて、アメリカンフットボールというスポーツの危険性を告発したことが、保守派の怒りを買ったというエピソードもある。そんな苦難を乗り越えたことも含めて、アカデミーとしては、今回の受賞で「借りを返したい」という雰囲気は確かに濃厚にあった。

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