新型コロナウィルスの感染拡大の期間、最初の感染拡大だけでなく、変異株が出現するたびに、日本では「水際作戦」が強化された。基本的に、外国人の入国は禁止され、日本国籍者でも帰国の際には、最大14日の自主隔離や強制隔離が行われた。
その結果として、まずビジネスに関してはこの2年間、国境を越えた人の往来は基本的に止まった。先端技術を持つ高度な人材の招聘に成功しても、日本国籍を持たないと多くの場合は入国ができなかった。日本で勤務している外国籍の人材は一時的にでも国を離れて帰省してしまうと、2度と入国できないことになった。
世界を飛び回って資材を調達するようなビジネスの人材は、日本の本社勤務であっても、拠点を韓国や北米に移さざるを得なくなった。日本が拠点では、帰国するたびに最大14日の拘束を受けるからだ。
日本に多くの海外の取引先を集めて行う見本市や国際会議といった商談の場は消滅した。リモートで成果を挙げている企業もあるが、他国のライバルにシェアを奪われるケースも少なくない。
ただ、この「失われた2年間」について、ビジネスの世界ではこの後、必死になればまだ挽回はできるかもしれない。
留学生受け入れを強化していた日本
問題は留学生である。日本の社会では広く知られてはいないが、日本という国は多数の留学生を受け入れることを国策としてきた。それも国の重要な施策として掲げ、実行してきた国である。
具体的には「留学生30万人計画」がある。これは2008年に制定された政策であり、20年までに日本へ留学する外国人の数を30万人へと拡大しようという計画だ。国はこの計画に基づいて予算を投入し、各国でのPR活動を地道に行った結果、19年には目標の30万人を達成している。
日本の18歳人口は約120万人であり、大学進学率が約50%とすると、4学年まである大学生の総数は240万人ということになる。これに上乗せする形で30万人の留学生(大学院生を含む)を受け入れるというのだから、プロジェクトとしては大規模な政策と言える。
当時の福田康夫内閣がどうしてこのような大規模な受け入れに踏み切ったのかというと、一つには、1年当たり210万人の人口があった団塊2世に合わせて拡大した大学の入学定員を簡単には縮小できないという問題があった。単に数合わせというだけでなく、優秀な学生を国外から確保しないと頂点から底辺まで全ての大学のレベルが低下してしまうという問題もあった。
しかし「留学生30万人」政策というのは、大学に対する維持救済策という側面だけではない。これに加えて、継続する人口減少を前提として、高度な人材を海外から調達し日本に定着させることは急務であった。つまり、留学生として受け入れた若者に、卒業後は国際人材として日本経済に貢献してもらおうというのである。