2024年12月2日(月)

パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2013年3月18日

 本格的な準備からバンクーバーまでは2年しかなく、本番を前に「4年間やってきた」という充実した感覚がなかった。次なる目標は2014年のソチパラリンピック。その表彰台を目指した鹿沼の勝負が始まった。

 勢いに乗った翌2011シーズンのワールドカップ・ドイツ大会では4位、同年のワールドカップ・ノルウェー大会では5位に入賞。着実に表彰台の一歩手前まで力をつけてきた矢先のこと、アクシデントが鹿沼を襲った。

 「国内での練習中に肩を怪我しました。前に人がいて、それを避けようと思い切り左のストックをついて左に巻くように転倒したときに左肩を脱臼して靭帯を傷めてしまって……。それからは脱臼癖がついて、ストックをつくと衝撃が強すぎて耐えられなくなって競技を断念しなければならなくなりました」

パラサイクリングで復活

 競技を断念したことをライバルであるカナダのロビー選手にメールで伝えたところ、「私はクロスカントリースキーも自転車もやってるのよ! 次はロンドン(パラリンピック)に出るから」と言われ衝撃を受けた。と同時にチャレンジャー魂に火が付いた。

 「彼女は夏も冬も出ていたんです。前回のロンドン・パラリンピックではロードレース80kmで優勝しました。私は視覚障害者のタンデムは男子しかないものだと思っていたのですが、あったんです。パラサイクリング競技では、日本人女子選手でパラリンピックに出場した人がいないと聞いたので、『これはやるしかない!』『国際大会に出たい!』、そう思って2012年に転向を決意しました」

冬季のソチから夏季のリオへ。今度は4年間しっかり準備して……

 パラサイクリングでは「ロード競技」と「トラック競技」の2競技が実施され、障害クラスは大きく分けて4つの種類に分けられている。鹿沼はタンデム(二人乗り)自転車を使用する視覚障害者クラスだ。

 その中でも「トラック競技」は1000mと3000mがあり、「ロード競技」は22km前後のタイムトライアルとマススタートして順位を競う80kmがある。

 「バンクーバー・パラリンピックのときに新田佳浩選手が2種目金メダルで表彰台に立ったのですが、その場で聞いた「君が代」が特別なものに感じました。世界一にならないと国歌は流れません」

 「4年に一度、周りの選手もこのパラリンピックにかける意気込みが違います。また、前に乗ってくれるパイロットの方は、ご自分の競技とは別に私のパイロットとしてやって下さっているので、私も気持ちを込めて、彼女たちに負けないようにやらなくちゃいけないと思っています」


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