「お花のおばあちゃん」と子どたちから呼ばれて親しまれていた近藤ヒサ子おばあちゃんと子どもたち。
そんな日常の交流から、子どもたちはいつしか「お花のおばあちゃん」と呼ぶようになりました。
でも、お花のおばあちゃんは、ほどなくしてからだの調子を崩して闘病生活に入りました。
そして、1998年に惜しまれながら82歳で他界しました。
その意思をつぎ、うらの畑サークルのお父さんやお母さんたちは、校庭の各所に散在していたお花のおばあちゃんが育ててお世話をしていた花々をコミュニティガーデンの一角に集め、お世話をしているのです。
そんなお花のおばあちゃんがもくもくとお花のお世話をする後ろ姿から、若かった私たちお父さんやお母さんは、「たったひとりでもみんなを喜ばせることってできるんだ」といったことを学びました。
そして、私たちはお花のおばあちゃんのことを秋津の偉大な母と慕い、語り続けています。
学校を拠点に紡ぐ「地域の記憶」
東京湾の埋め立て地に誕生した秋津のまちは、今年でやっと33年目。そんな若いまちでも「地域の記憶」があるんです。その記憶をお父さんたちは学校を拠点に紡ぎあい、いつしか新たな地域の記憶としてつらなっていくように思うのです。
てなことで、今回はちょっとおセンチな話になりました。
では、次回まで、アディオス! アミ~ゴ!
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