私は、小さな頃から昆虫が好きで、昆虫がたくさんいる熱帯雨林にはよく行くんですけれども、熱帯雨林というのは、一つの木の近くに同じ種類の木はないんです。一つの木の近くには必ず違う種類の木があって、同じ種類の木を探そうと思ったら遠くまで行かなくてはいけない。
たとえば蝶も同じで、日本だと、ある地域にはモンシロチョウばかりが飛んでいるけれども、熱帯雨林ではいろいろな蝶がひと所で飛んでいる。だから、熱帯雨林の蝶に関する図鑑は、「ソリタリー・インディビジュアルズ(Solitary Individuals)」とか書いてある。要するに、これらの蝶は「孤独な個体」として森のなかを飛んでいるというわけです。その「ソリタリ・インディビジュアル」というのがすごくいい言葉だなと思う。生態学的な多様性をもつということですよね。
そういう観点でいえば、日本の文字文化というのは素晴らしいですね。英語はアルファベット二十六種類しかありません。だから学びやすいということはあるんだけれど、一方で寒々とした光景ともいえる。世界のすべてが二十六種類の文字で映されてしまうわけですね。便利といえば便利ですが、多様性という視点から見たら、ちょっとさみしいですよね。
そのことに気づいたときに、「ああ、日本語を使うということは、ある意味では縛りでもあったけど、恵みでもあったかな」と思う。最近、そういうことをやっと言語化できているような気がします。
そういう日本の宝というのはまだまだたくさんあって、でもそれらは、私たちが本気で生きてみないと掴めない。日本のことを知るときに、教科書やインターネットで断片的な知識の羅列を求めるのではなくて、自分がいかに生きるかという日常と結びつけて考えなかったら、意味がないと思います。
そのときに大事なのは、やはり自分の感覚です。自分の感覚を信じるということ。つまり、感覚における自己本位。「世の中で何を言おうと、世間がどのように評価しようと、自分にとってはこれがいいんだ」という、その感覚を命がけで磨くことですね。それ以外に自分の命を輝かせるというか、日本を面白くする方法は、私はないと思うんです。それは苦しい道だけども、結局、それが自分をいちばん高める道だと思っています。