2024年4月20日(土)

オトナの教養 週末の一冊

2022年6月24日

 よほどの熱心なファンは別だろうが、本書で紹介されたメンバーの来歴やグループとしての歩みからは、初めて教えられることも多い。メンバーが進駐軍クラブなどに出入りしたバンドの中から生まれてきたことや、いかりやと加藤の出会い、そのほかのメンバーの参加の経緯、芸名が一夜にしてできた由来などである。

 当時、時代の寵児に躍り出て、その後ライバルとしてドリフとしのぎを削ったのが、萩本欽一と坂上二郎による「コント55号」だった。いずれもテレビで活躍し、人気を得ていたが、当時の様子について著者はこう記す。

 この時代に彼らが頭一つ抜きん出たのは、いかりやと萩本がテレビという新しいメディアの特性を見抜いたからである。彼らは、テレビにおける笑いの芸が、寄席や劇場の芸と全く異なるものだと気づいた。これまでの芸人は、一つのネタを何年も練り上げて完成させるため、持ちネタが少ない。だが、一度に何百万人もが観るテレビは、そのネタを一瞬で消費してしまう。日本にテレビが誕生してから十余年、多くの芸人がその怖さにまだ気づかずにいるなか、ドリフとコント55号は常に新ネタで勝負する道を選ぶ。

 ドリフは1966年夏のビートルズ日本公演の前座を務めるなどさまざまな活動を経て、『8時だョ!全員集合』の番組スタートを69年に迎える。最初の4回は録画で、そして生放送は第5回目からだった。

 『全員集合』をまだ記憶している方も多いだろうが、1時間足らずの番組の中に多様な出し物が盛り込まれていた。著者はこう記す。

 コントのほかにトークやゲームもあり、かなりバラエティに富んだ内容だが、『全員集合』にとって重要な要素がすでに揃っていた。(中略) なかでも屋台崩しは番組当初から目玉の一つだった。屋台崩しとは、舞台上の建物が崩れ落ちる場面を見せる仕掛けである。

散りばめられる音楽や企画の数々

 このほか当時、数々の映画やドラマの音楽を担当していた作曲家の山本直純が『全員集合』の音楽を担当したことも大きかった。番組の中に散りばめられた印象的な音楽は、番組を見て育った子どもたちは決して忘れることがない。そうした好条件がそろった運も大きいだろう。

 さらに、いろいろな企画を試しながら得意不得意を見極めていったのが『全員集合』だったと著者は記す。番組を見ていた子どもの頃にはわからなかったが、著者はドリフの芸風について「アドリブやハプニングに頼る笑いが苦手」と指摘する。それゆえに苦手な部分を削って、コントを作り込む方向に番組がシフトしていったという指摘は興味深い。

 『全員集合』が始まる前年の雪が降る日に、志村がいかりやの自宅を訪ねて直訴し、ボーヤ(付き人)になってゆくくだりも目を引く。荒井の脱退を埋める形でドリフの新メンバーになるのはまだ先のことだが、ボーヤ時代の志村がテレビ局のディレクターに頼んで55号の台本をもらうなど、研究熱心だった様子を記す部分は、後の志村の大成功を予感させて印象的だ。


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