2022年8月11日(木)

脱「ゼロリスク信仰」へのススメ

2022年8月3日

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唐木英明 (からき・ひであき)

東京大学名誉教授

1964年東京大学農学部獣医学科卒。農学博士、獣医師。東京大学農学部教授、日本学術会議副会長、倉敷芸術科学大学学長などを経て現職。著書に『不安の構造 リスクを管理する方法』(エネルギーフォーラム新書)。

何のためのワクチンなのか

 ワクチンには必ず副反応がある。にもかかわらずワクチンを接種するのは、感染予防というメリットと副反応というデメリットを比べて、メリットが大きい場合だけである。

 ワクチンのメリットは2つある。一つはHPVワクチンのように個人の生命と健康を守るためだ。英国の研究ではワクチンにより子宮頸がんのリスクが87%減少している。日本ではHPVワクチンの副反応の恐怖ばかりが大きく報道され、厚労省の積極的推奨がなくなったため、260万人の女性が無料接種の機会を逃したと大阪大学の研究グループが分析している。もしこの世代の女性の7割がワクチンを接種していれば、子宮頸がん患者を2万2000人減らし、死者を5500人減らせたとも試算している。

 ワクチン接種の判断は個人が行うのだが、そのときにメリットとデメリットを比較したはずである。そしてデメリットの方が大きいという判断をしてしまった。

 その判断の根拠はメディア情報しかない。その結果、70%以上あった接種率が1%以下になり、多くの女性が助かる命を失うリスクを負った。

 遅ればせながら厚労省はこの状況を改善したのだが、メディアが科学的で公平な報道をしたのか、被害者の声ばかり大きく報道したのはなぜか、その結果多くの女性が命を失うことになった責任はどこにあるのか厳しく検証する必要がある。

 ワクチンのもう一つのメリットは感染症の蔓延を防止して社会の多くの人を守ることである。コロナ問題で多くの人が知るようになった言葉に「集団免疫」がある。人口の7割程度が感染あるいはワクチン接種により免疫を獲得すれば、感染拡大は止まるのである。ということは、多くの人が接種に協力することが、自分のためだけでなく、高齢者や基礎疾患がある高リスク者を守り、医療のひっ迫を防止し、社会を守ることになるのだ。

「失敗事例」でもワクチンは役割を果たした

 米国民全員に豚インフルエンザワクチンを接種しようとしたフォード大統領の決断は「間違い」と批判された。それは豚インフルエンザが流行しなかったからであり、もし流行していれば大統領は英雄になっていただろう。

 流行が起こるのか予測することは、現在でも難しい。現在問題になっているサル痘が世界的に流行するのか、WHOも判断に迷っている。

 アキノ大統領の子どもを救うという決断も正しかったのだが、ワクチンの安全性が十分でなかったために、避けることができる副反応の犠牲者を出してしまった。しかし、ワクチン接種が全く無意味だったのではなく、多くの子どもを感染から守ったことも事実である。

 ワクチンの副反応を恐れて接種しなければ大流行が起こり、多くの命を失うこともある。逆に多くの人がワクチンを接種して感染を完全に抑えた事例を想定すると、誰も感染しないので接種しなくても感染が起こらなかったという疑いがわく。他方、何人もの人に副反応が出る。目立つのは犠牲者だけになり、ワクチンの評判は落ちるのではないだろうか。

 ワクチン接種の判断は個人にとっても社会にとっても難しい。メリットとデメリットの総合的な判断が必要だが、これを行うのは政府の役割である。その際、国民に対して十分に科学的な情報を伝える必要がある。そして正しい判断を助ける情報を発信するのがメディアの責任である。

 また副反応の被害者の救済も重要である。健康被害とワクチンの因果関係を証明することは極めて困難だが、一定の基準を設定して副作用の疑いがある人たちを幅広く救済する「無過失補償」を実施することが必要である。

 
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