探検精神を持たない限り、資源開発は不可能
日本の大手非鉄企業はレアメタルも扱うが、実は鉱山をたくさん所有しているわけではない。彼らは元々鉱山会社なのだが、その探鉱投資を積極的にするということについては、ここ数十年非常に神経質で後向きである。
日本の金属鉱業事業団、現在のJOGMEC(石油天然ガス・金属鉱物資源機構)には鉱山を探査する費用の半分を出してくれる制度がある。私も昔はよく利用させてもらった。例えば鉱山探査に10億円がかかるとすると、そのうちの5億円を出してくれるのだ。地域構造調査といったプログラムがある。もちろん成功するかしないかはわからないが、たとえ上手くいかなくっても出資をしてくれたJOGMECは文句は言わないし探査費用を返せとは言われない。
けれども、もし成功すればその鉱山の権利の半分は国に渡すことになる。費用が半額になったからといってリスクがなくなるわけではないが、それぐらいの投資をしなければ最低限、探鉱のような仕事はできないというわけだ。
それでも日本の鉱山会社は探鉱に投資することには極めて慎重で、躊躇しているように見える。鉱山会社の方針は川下産業に力を入れるあまり、本来の鉱山会社としての原点を忘れてしまっているように見える。これらは結局のところ、会社に限らず日本全体の空気に探検精神がないからだといえる。
探検精神を持たない限り、資源開発は不可能だ。これは山登りと一緒である。日本の鉱山会社は資源開発という険しい山をみて登る前からやる気をなくしている。だから頂上にたどり着くわけがない。
私の場合は「どんなものがあるかわからないけれど、一回あの山に登ってみよう」と発想するわけだ。今後の日本にとってそういう探検精神が必要な時代の到来を感じている。
これまで人の真似をしていればその安全性のために失敗なく全てがうまくいく、という考えがあった。しかし1990年代に空白の10年間を過ごした日本人たちは、こういった空気に自信をなくしている。その喪失した自信を取り戻すには、産業界全体が探検精神をもう一度持つことが必要である。
特に資源開発のようなギャンブル性の高い、未踏分野ないしは未知の要素の多い仕事は探検精神がない限り、世界の舞台で勝利を勝ち得ることはない。つまり、探検精神を持ってエネルギー開発や資源開発をしない限り、日本の国家はいつまでたっても大国と呼ばれるようにはならないのである。