2024年4月23日(火)

山師の手帳~“いちびり”が日本を救う~

2022年8月14日

「ファインダーズフィー」を払えよ

国立持株会社「Heritage of the Great Nomads」のテンギス・ボルトゥルク社長と

 鉱山開発には「ファインダーズフィー」という言葉が必ず登場する。商取引において「ファインダーズフィー」とは「発見手数料」のことだが、鉱山開発において発見者が得るべき金銭やその権利のことを意味する。

 少なくとも最初に開発した人、発見した人は世間から尊敬されなくてはいけない。西洋の文化では、そういう人は尊敬される。しかし日本では事情が違う。

「どこどこの鉱山に登った」という話になると「山に登るなんて何を目的に登ってるの? 馬鹿だよね」といわれてしまう。「探検なんてやらせても一銭の得にもならないよ。家族はほんとに苦労するよね」といった評価が下されてしまう。

 それにもかかわらず、もしも他人が金脈を掘り起こして当てたりするとハイエナのように、よってたかってしゃぶりつくすような一面もある。

 全く、いつから日本人はこんなものの考え方をするようになったのだろうか。日本人は元々、鎌倉時代からの勇猛果敢な文化、質実剛健な風土をもった人種であったはずなのに、江戸時代の300年が今の脆弱な日本人を作ってしまったのではないか。

 江戸時代に、日本での暮らしに馴染めなかった日本人が、倭寇(海賊)になって世界に雄飛していったわけである。でも、日本の近代化に貢献しようとしたのは、そういう探検精神だった日本人だったという歴史を改めて振り返り、原点に立ち戻ってみるべきだ。

 まずは、人の物真似をせずに自分独自の発想とクリエイティビティーで何かを開発した人、発明をした人は尊敬に値するんだ、と素直に認めるべきだと思う。

 日本ではそういう発想が不足しているため、人の物真似ばかりしていても恥ずかしいとは思わないのである。私はこのような日本の雰囲気は、国際社会の中では通用しないといいたい。

物真似ばかりする日本人

 私はレアメタルの仕事をしているけれども、今まで日本人が手をつけなかった地域やルートにしか興味がわかない。誰もやらなかったことに常にチャレンジをしているのだ。ところが私のいったルートの後を追いかけて物真似ばかりする人たちがいる。

 もちろん、私には次から次へと新しいアイディアとかイメージがわいてくるから、とりたてて人に真似されてもどうということはないが、ともかく新しいことをすることで、興奮し、ドーパミンが出るという、その楽しみを少しでも日本人が味わうべきであると思う。その真似をした人と喧嘩する時間も、もったいないので、それよりも次の新しいことをするのが良いということは言うまでもない。

 でも「そろそろ日本人は物真似はやめようよ」「人のノウハウを盗まずにファインダーズフィーを払おうよ」といいたい。一番始めに山に登った人を素直に尊重して、偉いといえる、そういう日本を作っていくべきでないだろうか。

 1980年代、90年代は金さえだせば資源をいくらでも買うことができた。そのおかげで日本人は「資源はいつでも手に入る。何も手をうたなくてもいい」という発想になってしまった。

 しかし、21世紀になって全てのエネルギーコストが上がりはじめ、ようやく危機感が芽生え、慌てふためきつつあるわけだ。そんな中でも、まだ呑気な人もいる。

「そんなことを言ったところで資源なんかまだいくらでもでてくるはずだ」という人もいる。そういう人に限って私がモンゴルの奥地などで調べてきたレアメタルに関する一級情報を教えると「それは聞いたことがありますね」とか「あー知っているよ」なんていう人がいるわけだ。

 知っているといえば、分け前でも貰えると思っているのだろうか。恥を知るべきであると、あえて言いたい。そんな情報を聞いたことがあるわけがない。なぜならば私の前に、そこの場所に日本人が入ったことはないのだから。これが日本がファインダーズフィーを払わないということだ。

 全ての面でそういったことを感じる。これは探検するということが崇高な行為だという認識が日本人にないからだ。でも探検をしない限り「虎穴に入らずんば虎児を得ず」で何も手に入れることはできない。それに自分で額に汗をしなかったら何も得ることはないし、苦労するからこそ、そこに面白いことが待っているわけだ。

 なんでも簡単に手に入る時代には、探検精神はやはりどんどん磨耗して消えてしまっていくのかもしれない。けれど世界の中でサバイバルするためには探検する人にたいするファインダーズフィーを払い、そして自分自身も探検精神をもって常に新しいことにチャレンジすることが大事だと思うのだ。


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