2022年12月9日(金)

定年バックパッカー海外放浪記

2022年11月6日

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高野凌 (たかの りょう)

定年バックパッカー

1953年、横浜生まれ。神奈川県出身。大学卒業後は商社、メーカー勤務を経て2013年定年退職。2014年春から海外放浪生活を始める。放浪歴は地中海、韓国、インドシナ半島、インドネシア、サンチアゴ巡礼など。サラリーマン時代は主として海外業務に従事。ニューヨーク、テヘラン、北京にて海外駐在を経験。身長170センチ、57キロ。獅子座。A型。現在2人のご子息は独立し、夫人との2人暮らし。孫1人。

(2022.7.16~9.11 58日間 総費用22万5000円〈航空券含む〉)

マニラの安宿で出会った薄幸の少女

キリスト像は手が届くくらい身近にあるが、神の祝福はマリのような貧困層には届かないのか?

 7月19日。マニラのホステルのテーブルで女子(フィリピーナ)3人がおやつを食べながらおしゃべりしていた。放浪ジジイもつまみのナッツをかじりながらサンミゲルの缶ビールをチビチビ。

 長距離バスの乗り場を女子たちに聞くと1人の娘がスマホでサクサクとネット検索して乗り場までの道順を教えてくれた。彼女はスペイン系の容貌で長い黒髪、少し浅黒い肌のエキゾチック美人だ。ミンダナオ島の出身でマリと名乗った。

 7月20日。放浪ジジイが散歩から戻るとマリが1人でテーブルに座って書き物をしていた。マリは「近くのパコ公園に散歩に行くけど一緒に行きませんか」と誘ってきた。なにか話したいことがあるような雰囲気だった。放浪ジジイはたった1時間ほどの散歩で疲労困憊だったので後ろ髪を引かれる思いで丁重にお断りした。2年半のブランクで放浪ジジイは体に相当にガタが来ており精神的にも老化が進行している。以前なら美少女のお誘いを断るようなジェントルマンにあるまじき言動は絶対にしなかったのであるが。

想像を絶する少女時代の貧困体験

 ホステルのテーブルでサンミゲルをチビチビ飲んでいたら、マリがジュースとお菓子を買って戻ってきた。彼女は問わず語りで生い立ちを語った。マリは今年21歳。マニラでハウスキーパーをしている。出身はミンダナオ島の中央の山間の村。スマホの地図で調べたが何も記載がないほどの過疎地。父親は早死。母親が子供4人を抱えて小さな畑を耕していた。

 マリは子供のころから弟妹3人の世話をしながら、近所のお手伝いをして小遣い銭を稼いで家計の足しにしていた。貧乏なので中学校を1年で中退。(※注 フィリピンでは幼稚園〈1年〉・小学校〈6年〉・中学・高校〈6年一貫でハイスクールという〉)の13年が義務教育で公立学校は授業料が無料。しかし制服や弁当代などは自弁であり貧しい家庭では小学校さえも行けない子供がいる。

 14歳の時にお金を稼ぐためにミンダナオ島の町に出て住込みのお手伝いさんをして母親に仕送りしていた。17歳で多少なりとも稼ぎの良い仕事を求めてマニラに出てきて、住み込みのハウスキーパーやベビーシッターをしてきた。

 現在は次の住み込みのハウスキーパーの仕事が始まるまでホステルで待っているという状況。この薄幸の少女の夢は「お金持ちで優しい人々の国、ジャパン」で仕事をすること。そんな彼女の唯一の楽しみは年に1回くらい友人と旅行することだ。そう言ってボホール島の絶景のフォトを見せてくれた。ビーチの椰子の木陰でマリが水着姿で微笑んでいた。

マリの本当の不幸は人間を信じられないことか?

 マリは実家を離れてから母親に毎月送金していたが、ある時実家に戻ると弟妹がほとんど学校に行ってないことが分かった。母親に問い詰めても埒があかない。そのうちに村の人々の噂で母親がダメ男に貢いでいることが判明。それ以来実家への仕送りは止めた。

 マニラに来てから今まで5年間母親とは断絶して音信不通とのこと。母親を今でも憎んでいると語った。マリは母親の醜い行状と自分への裏切りを知って人間不信に陥ってしまったという。そんな彼女には身近に悩みを打ち明けて相談する人がおらず大都会マニラで孤独を募らせてきたようだ。そんなことから通りすがりの異邦人である放浪ジジイに問わず語りをしたのだろうか。

マリの心の支えとなっている男の正体は

 7月21日。午後3時頃、テーブルにひとり座ってぼんやりしているマリを見かけた。マリは「実は2年前にフェイスブックで知り合ったロシア人のボーイフレンドがいます。今日もこれからフェイスブックでビデオ通話する予定なんですが……」と語りだした。

 彼とは偶然フェイスブックで知り合って、頻繁にビデオ通話してお互いの気持ちを確かめてきたという。しかし一度も直接会ったことはない。マリに相手のスペックを確認するとモスクワ在住の会計士、現在47歳で結婚しており子供もいるという。

 彼は当初から妻とは離婚するとマリに約束していたが、2年たっても離婚手続きは進展しない。彼はロシアでは離婚審査は厳しく離婚手続きは非常に時間がかかると説明しているという。

 彼は英語が全く話せないので1人で海外渡航できないのでマリにモスクワに来てほしいと懇願しているよし。さらにロシアでは出国するには厳しい審査がありフィリピンへの渡航許可は下りないのでマリに来てほしいと説明している。

 英語が話せないならどのように彼とコミュニケートしているのか尋ねるとフェイスブック通話するときは彼の会計士事務所で行い、事務所の秘書が通訳していると。また機微にわたる話をするときは翻訳アプリを用いるようだ。

 彼の言葉を信じてマリはロシア領事館にビザを申請しておりビザが下りるのを待っているところだと打ち明けた。

マリの経緯説明を聞いて疑問点を整理してみた:

① 彼は当初から妻とは離婚するとマリに口約束している。他方でロシアでは離婚は非常に難しく時間を要すると言い訳している。オジサンの見解:ロシアでは離婚手続きが難しいという話は聞いたことがなく、むしろロシアは離婚率が高く、カトリック教国と比較したら離婚は非常に容易である。離婚を真剣に考えておらず言い訳のために嘘を言っている。

② ロシア人の海外渡航はビザさえあれば原則自由だ。実際に世界中でロシア人が観光・商用で旅行している。現にマニラ市内でもロシア人を見かけている。オジサンの見解:やはり会計士は嘘をついている。金もあり社会的地位もある中年オジサンの彼は若くて魅力的なマリをモスクワに呼び寄せて遊びたいだけであろう。

 放浪ジジイがマリに率直に上記2点を説明して見解を述べるとマリは意外にも納得して「今日のビデオ通話で疑問をぶつけて彼の本心を確認します」ときっぱりと宣言した。そして放浪ジジイの論点を紙にメモしていた。自分自身を励ましているようだった。

47歳の彼氏は狼狽して「アイ・ラブ・ユー」を連呼

 そうこうするうちに4時を過ぎて先方からビデオ通話のコールがあり会話が始まった。冒頭からマリが冷静に疑問点をぶつけ、オジサンの見解をそのまま自分の意見として伝えている。

 どうしてフィリピンに来ないのか(Why don't you come to Philipines?)。ロシア人は自由に海外渡航できると認識している(I understand Russians can easily travel overseas)などと小気味よくしゃべっている。

 彼の返答はマリへの回答になっていない。どうしてそんなことを聞くの? なぜ早くモスクワに来ないのか? しどろもどろで彼の秘書も通訳に戸惑っている様子。しまいには「アイ・ラブ・ユー」ばかり。

 マリの最後通告は「これであなたとはお終いよ。もう掛けてこないで」(This is the last video call. Don’t call me again.)と単語を区切りながら明確に意思表示した。

マリの率直な述懐を聞いて放浪ジジイも悲しみを共有

 通話を終えてからマリは憑き物が落ちたような顔つきで言った「やっぱり想像したとおりだったわ。今までもなんとなく自分でもおかしいと思っていたの。今まで生きるだけで精一杯で人を好きになったことがなかったの。ましてやボーイフレンドもいなかった。だから彼と関係が無くなってしまうことが怖かったの。モスクワに行けばすべてが解決するという幻想(illusion)を捨て切れなかったのね。今日貴方に指摘されてやっと結論を出そうという気持ちになったの」と心情を吐露した。

 放浪ジジイは貧しく孤独で頼る人のいないマリにとってはロシアおじさんという存在が「唯一夢を見ることができる対象」だったのだろうと想像した。マリという将来のある女子の人生に何かしら貢献できたような気分になった。放浪ジジイもたまには人の役に立つこともあるようだ。

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