2024年12月23日(月)

「子縁」でつながる秋津地域のお父さん 

2013年7月8日

 学校と地域が融合するようになったきっかけは、開校11年目で23年も前の1990年度のこと。

 その年から3年間、市の指定により生涯学習の研究校になりました。

 しかし、後に判明するのですが、校長さんが先生たちとの合意を得ないで研究指定を受けたんです。しかも、初年度は形ばかりの教師研究部会を設けた程度で具体的にはなにもしないで翌年定年退職。だから昇進して翌年度に秋津小学校に着任した新校長さんは、もう大変!

 なぜ大変か。新任校長さんからPTAに「保護者の研究部会をつくってくれませんか?」との要請があり、事情を知らない役員らはさしたる議論をしないで保護者研究部会をつくりました。しかし、動きだすとどうも先生たちがヘンだからです。

 研究発表の創作秋津オペレッタのために立ち上げたコーラスのお母さんたちが練習のために音楽室に行くと、「音楽選科の先生が『この時間に使うなんて聞いていません!』というんですよ!」と、大変な剣幕で怒るんです。校内の打合せが不徹底だっただけなんですけどね。

 「『土曜日の午後は勤務時間外なので打ち合せはできません!』と、先生がいうんですよ!」と、保護者研究部会のお母さん。1992年9月からはじまった学校週五日制の導入前だったんで、土曜日の午前中は先生が来ていた時代でした。まあ、勤務時間外は先生の権利なんだから出なくてもいいんだけど、お母さんたちは「自分たちは学校からいわれてやってあげてんのに」といった感覚だったから、かみ合っていなかったんだよね。

 こんな調子で、親と先生とのコンフリクト(軋轢)が次々に露呈してきました。

「表向きに」は大成功 「創作秋津オペレッタ」

 PTA会長の私は、校長さんにこのような軋轢が出ていることを率直に話しました。

 実は校長さんも、先の事情から先生と親とに挟まれて苦悶していたんですね。

生涯学習研究指定校の行事として披露した創作秋津オペレッタの練習風景。1992年9月

 「会長さん、胃が痛くてね」とのことから、校長さんを私の家に誘い話し込んだこともありましたっけ。

 それでも3年間の総決算である生涯学習研究発表会も、幕張メッセの大イベントホールで披露した432人もの親や子ども・先生から地域の人たちでつくりあげた創作秋津オペレッタの爆発エネルギーをみれば、表向きには大成功でした。

 「表向きに」とは、オペレッタを観劇した当時の市長さんからの「素晴らしいのでぜひ習志野文化ホールで市民に再演してくれませんか」とのお誘いを「やりません!」と蹴ったことに象徴されるくらい、親と先生とのコンフリクトは最後まで埋まりませんでしたから。


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