敗北を重ねていたアサド政権は化学兵器や焼夷弾を使用、捕虜や住民に激しい拷問を加えた。こうした残虐行為に「アラブ連盟」はシリアの加盟資格をはく奪、米欧はアサド政権に厳しい制裁を科した。内戦で国民の半数は難民となって離散、シリア経済はどん底に陥った。
一時は内戦に加え、過激派組織「イスラム国」(IS)が国土の一部を占領した。現在でも反政府勢力が北西部を、北東部をクルド人勢力が支配しており、国土統一にはほど遠い状態だ。
アラブ世界復帰目論む
だが、内戦発生から10年が経過した頃からシリアを取り巻く状況に変化が生まれ始めた。和解の流れを作ったのはアラブ首長国連邦(UAE)のムハンマド大統領だ。
ムハンマド大統領(当時皇太子)がアサド大統領と電話会談、それにヨルダンのアブドラ国王らも続いた。背景には同じイスラム教徒という同胞意識やシリアの混乱が中東全体を不安定にさせる、との危機感があったようだ。
ムハンマド大統領は地震後の支援でも、シリアに1億ドルの供与を早々と決めた。エジプトのシシ大統領も内戦以降初めてアサド氏と電話会談、他のアラブ諸国も次々と支援を送った。だが、何と言っても注目されたのはサウジアラビアが被災地のアレッポに支援物資を空輸したことだろう。
というのも、サウジはアサド政権がイランとの連携を強めていることもあり、シリアの「アラブ連盟資格停止」の旗振り役を演じるなど、アサド政権を敵視してきたからだ。被災支援とはいえ、大国サウジの行動はシリアに対する姿勢を軟化させたものと受け取られてる。
米紙によると、シリアに対して最も大規模かつ厳しい制裁を科している米国のバイデン政権も人道的な理由からとして「半年間、シリアの国際的な取引を容認する」と異例の制裁緩和に踏み切った。
アサド大統領がこうした状況を好機ととらえたのは間違いない。地震直後には、トルコ国境の援助物資搬入地点は1カ所しかなかったが、国連高官との会談で、搬入地点を2カ所増やすことに同意した。
アサド氏にしてみれば、〝敵(反政府勢力)に塩を送る〟ことになるが、善意を示すことで結果的に得をする道を選んだのではないか。ターゲットはアラブ世界への復帰、つまりは「アラブ連盟」の資格停止解除だろう。