2024年7月16日(火)

都市vs地方 

2023年3月9日

 次は高岡市である。20年に最高路線価地点が「末広町末広町通り」から「高岡市京田県道57号」になった。その前年、京田県道57号近くのイオンモール高岡が増床し北陸最大のショッピングモールとなっている。

 最高路線価になった地点は15年に開業した北陸新幹線の新高岡駅の北側道路だ。高岡の玄関口ごと高岡駅から新高岡駅に移った形だ。イオンモール高岡は新高岡駅の南側にある。

 移転前の最高路線価地点は末広町通りでも駅近のほうだった。末広町通りに沿って走る路面電車の高岡駅の次の駅が末広町駅で、そこから末広町通りを右に入ったところが御旅屋町。ここは全蓋型のアーケード商店街になっており、入り口に大和百貨店の高岡店があった。1943年(昭和18)の開業で、94年に第三セクターの再開発ビルの御旅屋セリオの核テナントとして入居した。しかし2019年8月に閉店する。

街の最高宅地価・最高路線価地点は全国的に変遷がなされている(「路線価でひもとく街の歴史」 第30回街の発展史から将来の街づくりを考えること

かつては駅前も「郊外」だった

 さすがに県庁所在都市で最高路線価地点が郊外に移転した例はない。とはいえ、老舗百貨店が店を構えた伝統的な中心街が最高路線価の座を譲った例は多い。

 札幌市や名古屋市のような大都市でさえそうである。札幌は大通りから、名古屋は栄から駅前に移った。

 歴史を辿れば街の中心は街道や水路の際にあった。それが駅前、バイパス沿いの順に移っている。徒歩・舟運、鉄道から自動車という具合に主要交通手段の変化が背景にある。

 建物が密集した市街地を貫くわけにはいかないので、鉄道路線は当時の街の外縁をなぞり、駅は郊外にできた。自動車の時代に入りバイパス道路が計画されたが、こちらも既成市街地の外側を迂回した。そもそも迂回するから〝バイパス〟という。元々迂回路のはずが、車の往来とともに店も増え、それが集客装置となって人が集まった。

 今でこそ駅前商業の郊外移転を嘆くが、元を辿れば駅前自体が郊外だった。例えば横浜は伊勢佐木町が伝統的な中心街で、横浜駅西口は1952年に相模鉄道が買収し開発に着手するまでは広大な空き地だった。59年に横浜高島屋が進出するなど急速に発展し、65年には伊勢佐木町に代わって横浜駅西口が最高路線価地点となる。

 90年代以降は自動車の時代となる。小売業態においては品揃えの幅が格段に広がり、ワンストップショッピングに必要な店舗面積が大きくなった。とはいえ駐車場完備の大型店を出すのに既存市街地には土地がない。そうしたわけで郊外のバイパス沿いに進出した。

 70~80年代に地方都市にやってきた総合スーパーも郊外に大型モールを建てて移転した。老舗百貨店の多くは伝統的な中心街にとどまった。

 2000年代以降は駅前を含めた既存市街地の総売場面積に匹敵する巨艦モールの進出が相次いだ。中心市街地の商業は買回り品、専門品へ特化することで棲み分けを図ってきたが、地域によっては多勢に無勢の戦況だ。

商業中心地に代わる新たな「住まう街」

 百貨店が閉店しシャッター商店街となった街はたしかに寂しい。しかし嘆くべきことではないというのが筆者の見解だ。まず、車社会化すなわち乗用車の世帯普及率が高い地域は地域所得も高いことを指摘しておく。

 仮に商業中心地としての役割を終えたとしても新しい役割がある。たしかに、水路と街道に沿ってできた旧市街は自動車の時代に不利だ。事実、交通渋滞や駐車場不足が問題となっていた。

 他方、市街地をとりまく環境には変化の兆しがある。高齢単身化、ネット通販の普及そしてインフラ老朽化の3つだ。


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