まずは車生活がおっくうになり郊外住宅地から街なかの中高層住宅に移り住む人が増える。次に、ネット通販が買い物の主流になり、週末に家族でミニバンに乗って郊外大型店でまとめ買いするスタイルが潮目をむかえる。今でこそ世代間のデジタルデバイドが問題だが、十数年後にはネット通販に抵抗のない団塊ジュニア世代が高齢者になるのだ。最後に、将来の税財源を考えると街のプラットフォームたる水道はじめ都市インフラはある程度縮めていかざるを得ない。
旧市街の新しい役割は「住まう街」だ。車が通るには細い道も駐車場がない街も「住まう街」なら強みとなる。徒歩と舟運に最適化された旧市街は山の稜線や水辺の景観を取り入れる工夫が施されている。旧市街に残る町家や近代建築、旧街道と運河が歩いて楽しいウォーカブルシティを彩る。
再生の道筋は街の発展史にある。「街の構造を発展史的に把握し将来の街づくりを考えること」が財務省広報誌ファイナンスの連載「路線価でひもとく街の歴史」の趣旨でもある。
だから歴史的町並みを復元するのは観光目的に限らない。むしろ街に住む人が自分の街に誇りと愛着を持つことが目的だ。
これをシビックプライドあるいはシチズンシップという。そして財政問題を考えれば、街は旧市街のサイズに回帰する。重要なのは「住み続けられるまちづくり」(持続可能な開発目標(SDGs)目標11)だ。
住まう街・ネット通販時代の百貨店
百貨店は今後どういう姿になるだろうか。最高路線価地点が郊外に移った高岡市。富山大和は撤退したが、今は富山大和の高岡サテライトショップとして、同じビルのワンフロアで営業を続けている。
最近でいえば2月14日、山梨県甲府市の老舗百貨店「岡島」が閉店した。その後、近所の再開発ビル「ココリ」の中に3月3日、新装オープンした。地下1フロア、地上2フロアの売場面積4500平方メートルと旧店舗の7分の1となる。
これはちょうど戦前の百貨店と同じ規模感だ。1935年(昭和10)に出版された「百貨店の実相」によれば、当時の百貨店の営業延坪数は丸三鶴屋が635坪(約2099平方メートル)、藤丸が900坪(約2975平方メートル)、富山大和の前身の宮市大丸富山店が1106坪(約3656平方メートル)で、丸井今井が2073坪(約6852平方メートル)だった。
主要交通手段ではないが、街のあり方を規定する自動車の次の要素は「ネット通販」だ。影響が大きいのは百貨店よりむしろ郊外の大型モールである。すべてではないにせよ、遠からず大型モールの立地はネット通販の倉庫に置き換わるだろう。
これからも続くだろう品揃えの多様化と専門化に対し売場の巨大化で対応してもネット通販にはかなわない。店舗の大きさには意味が無くなる。現物を見ずに買うのに躊躇するハイクラス商品、お試し商品にはコンサルティング販売を強みとする百貨店のビジネスモデルが生きる。
70~80年代、新規参入者だった総合スーパーと競争する中で、少なからぬ地方百貨店が総合スーパーと同化し「デパート」になってしまった。閉店した地方百貨店の多くはデパート化し、総合スーパーのように郊外移転もできなかったケースだ。
百貨店の生き残りの道はある。規模にしてもビジネスモデルにしても、その条件を一言で言えば百貨店が登場した頃への「原点回帰」となるだろう。