2024年11月25日(月)

オトナの教養 週末の一冊

2013年7月12日

 たとえば、日本の選挙制度と対極にあると言われるアメリカの場合、選挙運動は「言論の自由」に該当すると考えられ、選挙運動の規制に関しても慎重な姿勢が貫かれています。ですからアメリカでは新しいメディアが出現すれば積極的に利用し、ウェブサイトの利用に関しても93年頃より始まっています。ネットでの献金というとオバマ大統領が注目されがちですが、それより以前にアル・ゴアやハワード・ディーンといった政治家が始めていました。

著者の西田亮介氏

 またアメリカの大統領選挙は、期間も長く概ね2年間。そして動くお金の額も莫大です。さらに二大政党制のもとの選挙で、ネガティブキャンペーンも盛んに行われますので、国を分断するような言説が日々政治を取り巻くあらゆるメディアを席巻するわけです。これが本当に良いことなのかはわかりません。ダイナミックで自由に、莫大なお金をかけ徹底的に候補者が情報をすべて吐き出すという選挙制度がアメリカ的な公平性であるという合意があるわけです。

 これに対し日本の公職選挙法は戦後の混乱期に出来た法律で、資金力の強い候補者がポスターの紙を買い占めたり、あるいは街中至る所にポスターを貼らないようにと、実際の運用実態はさておき立法の時点ではなるべく決められた道具立てで選挙運動をするということで出来ています。本書ではこれを「均質な公平性」と書きました。  

 日本の場合、アメリカと比較すれば、政治全般に係るコストは低い。また国民の政治意識に関して低いという言い方をされますが、アメリカのネガティブキャンペーンのような国を分断する言説に触れずに済んでいたという見方も出来ます。これはこれで否定されるべきものでもないと思いますし、両国の選挙制度も一長一短あります。日本とアメリカではそもそも選挙運動に関する設計思想が違うのです。

――冒頭で「なぜネット選挙なのか」という問が見当たらないと。そこでネット選挙の本質についてお聞きしたいのですが、本書の中でネット選挙の本質は「価値観の選択である」と書かれています。ここで書かれている価値観とはどのようなものでしょうか?

西田氏:先程も触れましたが、日本の選挙制度を「均質な公平性」という従来の選挙に対する考え方とすると、もう一方でネット選挙解禁による、いわゆるネット的な考え方があります。ネット的な考え方とは、漸進的改良主義とも呼べますが、要するに完成度が高くなくともプロトタイプを公開し、問題が生じるたびに試行錯誤を経て修正する考え方です。

 この漸進的改良主義とはある意味でアメリカ的であるとも考えられます。公職選挙法というひとつの法律の中に、「均質な公平性」と「漸進的改良主義」という2つの価値観が存在していることは歪なわけです。


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