日本経済が外国との経済競争にさらされ「慢性不況」という認識が広まり、また都市と農村との格差が強調されるようになったことは、大戦ブームによる生活水準の上昇を経験し、国際連盟で常任理事国となって列強と対等の「一等国」としての自覚を持つようになり、また普通選挙運動(1925年普通選挙法実施)や社会主義思想の広まりもあり平等意識が高まっていた国民の不満を高めることになった。
国外にも向けられる格差への不満
後に二・二六事件(1936年)の理論的指導者として処刑される北一輝により、1923年に『日本改造法案大綱』が一部伏字で刊行された。
その中で北は、華族制の廃止、男子普通選挙、私有財産・私有地の一定限度以上の国家への納付、労働省の設置による労働者保護など、戦後改革を思わせる国内の平等志向の改革を主張する一方で「国家は又国家自身の発達の結果不法の大領土を独占して人類共存の天道を無視する者に対して戦争を開始するの権利を有す」として、ソ連からシベリア、英国から豪州を獲得するための戦争をすることを主張しており、国内および国際的な格差の存在に対する同時期の国民の不満を象徴するものであった。
1924年に実施された米国の排日移民法も、日本の「一等国」としてのプライドを傷つけ、広大な領土を持ち自由の国を標榜しながら日本人移民を実質的に禁止する米国への不信感を募らせる結果となった。
第1回で紹介した、第一次世界大戦による好景気の中で河上肇が問題とした「日本の貧乏」と「貧乏な日本」は、むしろ大戦終結後に強く意識されるようになった。それはやがて、国内を改造して農村の苦境を救い貧富の格差を解消し、同時に「持てる国」である英米中心の国際秩序に「持たざる国」日本が挑戦しようという機運を高めていくことになる。
小峯敦編著『戦争と平和の経済思想』晃洋書房
筒井清忠編『昭和史講義【戦前文化人篇】』ちくま新書
牧野邦昭「テロと戦争への道を拓いた大正日本経済のグローバル化」『Wedge』2022年6月号
80年前の1941年、日本は太平洋戦争へと突入した。当時の軍部の意思決定、情報や兵站を軽視する姿勢、メディアが果たした役割を紐解くと、令和の日本と二重写しになる。国家の〝漂流〟が続く今だからこそ昭和史から学び、日本の明日を拓くときだ。
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