ベイ党からすれば、チームを25年ぶりのリーグV、日本一へと導いてくれる救世主として期待値を高めるのも無理はない。日本球界移籍早々の登板2戦目(5月9日・巨人戦)、登板3戦目(5月16日・広島戦)と2戦連続で7失点KOされ「やはり獲得は失敗だったのではないか」との声がささやかれかけた時も、あるいはつい最近も米全国紙「USA TODAY」で明らかにされたように別の米国在住女性から以前告発され、実はまだ係争中の案件があったことが発覚しても、横浜の多くのファンは目をつぶり、ここまで健気に応援し続けている。
実は〝日本通〟の側面も
米国と違って温かい眼差しを向けられる日本での生活にバウアー自身も居心地の良さを感じているようだ。新天地となった日本球界では逆風にさいなまれずノビノビとプレーできることもプラスに働き、今や完全にアジャスト。これは本人のひたむきな努力も実を結んだと言える。
こと野球に関して日本流に言えば「オタク」と呼べるほどに研究熱心でデータ解析などを用いた分析力も一流アナリスト並みだ。前記した来日後登板2、3戦目でハマりかけたプチスランプをきっちりと克服し、加えて来日初登板から続いていた〝唯一の不安材料〟とも言うべき7戦連続被弾を25日の阪神戦で止めることができたのも、やはりバウアー本人の緻密なアナライジングが功を奏した点が大きい。
そして何よりもバウアーが大の日本好きであることがベイスターズで活躍する可能性を大きく広げていると言えるだろう。名門UCLA時代の08年に日米大学野球の米国代表として来日。その際に以前から興味を抱いていた東洋文化の素晴らしさにますますのめり込むようになり「いつか日本のプロ野球でプレーし、生活してみたい」と本気で夢見るようになった。
シンシナティ・レッズ時代の19年12月にはプライベートで来日し、ベイスターズのチーム関係者との縁から神奈川・横須賀市の同球団二軍施設「DOCK」でエースの今永昇太投手らと自主トレも行っている。その時、実はドラフトの流れ次第でMLBではなくNPBでプレーすることも考えていたと明かし、どこかのタイミングで日本のプロ野球球団へ移籍してみたいという意向もリップサービス抜きで口にしていた。その言葉が、まさかわずか約4年後に現実のものになるとは当時バウアー本人、ベイスターズ関係者も含め誰一人想像できなかったであろう。
無論、それを現実化させたのは米国内で厳しい立場に追いやられていながらも日本での獲得には特に支障がないと踏み、水面下でバウアーとの契約にまで漕ぎ着けたDeNAの球団編成担当者らの尽力とも評せるであろう。何としてでも今季こそ25年ぶりのリーグV、日本一を実現させたいとする執念が、この超大物獲得へと至ったのだ。
今季の交流戦でもバウアーは3試合に先発し、3勝0敗、防御率1.50、WHIP(イニング当たりの与四球+被安打数)0.75。交流戦成績では勝ち星、WHIPともにエースの今永を上回ってチームトップを堅持。防御率も先発陣の中では同じく3試合に登板した大貫の0.98に次いで2番目に低い数値に抑え込む活躍を見せ、チームを初の交流戦優勝へ導く立役者となった。
交流戦MVPこそ他チームの巨人・岡本和真内野手に譲ったものの、DeNA寄りのベイ党目線で見れば、これに匹敵するMVP級の投球内容と結果を残したと言い切っても過言ではあるまい。